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「何時までそこにいるの?」
 景時に声をかけられても、譲は砂浜から立ち上がる気にはなれなかった。
 当に船は水平線の向こうへ消えている。日も傾いて空は藍色になりつつあった。
「そうですね……」
 それでも景時の手を借りてゆっくりと立ち上がり、もう一度海を見た。
 二人にさよならと、そう言えないまま浜辺をあとにする。
「君は帰るんでしょ?」
 ゆっくりと景時が口を開いた。
「君さえ良ければ、ずっと」
「いえ」
 景時の言葉を遮り、言葉を発する。
「俺は帰りますよ。せめて俺だけでも」
「そっか」
 景時の声は明るく、それが今の譲にとってせめてもの救いだった。
「でも、出来るなら後ちょっとこっちに居たいんですけど」
「いいよ! 好きなだけ居てよ。その間、朔に料理を教えてくれないかな」
「いいですよ」
「ほら、あれ、なんて言ったっけ。卵を使うやつ」
「オムライスですね。それともプリン?」
「両方で!」
「はい」
 暗くなってても仕方が無い。全てはもう決まったこと。思うところが無いわけじゃないが今更何が出来るわけでもない、ただある場所に戻るだけだ。
「帰りましょう」
 まだ少し何かを残す、だが先程よりは明るい笑顔を見て、景時は笑顔を返した。





「白龍。俺、明日帰りたいんだ」
 夜。
 満月と星が綺麗な夜、庭で淡い光を放つ白龍に譲は言った。
「明日、時空を開けばいいんだね」
「……うん。宜しく頼むよ」
「譲は、残らなくていいの?」
 譲より大きい白龍が、まるで小さい頃のような仕草で首を傾げた。
「帰るよ。いきなり二人も子どもがいなくなったんじゃ、両親が可哀相だ」
「大丈夫だよ。穴は塞がる」
「え?」
「譲達が居なくなった後は塞がるから、大丈夫」
「どういうことだ、白龍」
「時空に開いた穴は塞がる。譲の怪我が治るように、穴は塞がる」
「二人のことを忘れるという事か?」
「違うよ。最初から居なかったことになる」
 存在の消滅。思った以上の答えだ。何の痕も残さず消えるのか。
「俺の記憶からも二人は消えるのか?」
「ううん。譲るのは残るよ。力があるから。それも消すの?」
「いや、残しておいてくれ」
「わかった」
 黙り込んだ譲に、白龍はそっと上から声をかける。
「やっぱり、帰るの?」
「………うん、帰るよ」
 少し迷ったけれど、譲はそう言った。こっちで生活は出来るだろう。最初は色々迷惑をかけることになるだろうけど、最終的にはこちらの人間と同じように、それこそ最初からこちらの世界で生まれたかのように生活できるだろう。
「そう」
 少し残念そうな白龍の声に、譲は顔を上げて笑った。
「一つだけ、頼んでいいかな」
「何? 私に出来ることなら言って」
「向こうに戻るときに、もともと着てた服になると思うんだ。その服に、小さな本があって、そこに、俺と兄さんと先輩が写った紙があるんだ。お前が言うように穴が塞がるなら、そこから二人の姿は消えるんだろう。でも、出来たら、それ一枚でいいから残して欲しい」
「わかった」
 記憶なんて曖昧なものだから、自分だけが持っているものに確かな証拠が欲しかった。疑うわけではなく、忘却への恐怖からだ。
「それじゃ、また明日」
「うん」
 庭から屋敷へ戻り、後ろを振り返る。
 空に龍が踊っていた。


「じゃあね」
 泣きそうな景時と、そんな兄を叱咤する朔と、九郎からの言伝を持った弁慶三人が譲を見送った。あまり大人数でも未練が残る。光の向こうに消えていく三人に、最後まで笑顔だったか、譲は自信が無かった。


 気付いたのは学校の保健室だった。
 休み時間が終わっても戻らない譲をクラスメートが探していたら、渡り廊下から少し離れた雨の中で倒れている彼を発見したのだという。救急車を呼ぼうかどうしようかと話し合っているときに目が覚めたらしかった。
「たいして時間はたってないのか」
 大丈夫だという譲に、大事をとってもう一時間と昼まで寝かされることになった。
 世界はいたって平穏だ。




 帰りに濡れた制服をクリーニングに出して、譲は家に帰った。
 昼間の事は両親にも伝わっていたらしく、でも大丈夫だと何とか説得した。
 かばんを持って階段を上がる。自分の部屋は階段を上がって直ぐの部屋。ノブを回し中へ入る。変わっていない、自分の部屋だった。最後に見たのは一年位前のはずなのに、当然のことながら埃なんか積もっていない。懐かしいという想いすら湧くのに、こっちでは数時間しかこの部屋は時を過ごしていない。
 机の引き出しをあけ、そこにあるアルバムを取り出した。
 椅子に腰掛けて、ゆっくりとめくる。そこには様々な家族の姿が写っていた。それは父親だったり、母親だったり、譲自身だったり、友達だったり。
 めくっていくそこに、誰かに撮って貰ったのだろう写真があった。
 楽しそうに笑う両親と、自分。
 三人。
 譲はアルバムを閉じて、部屋を出た。出て直ぐの廊下の突き当たり、そこが本来なら兄の部屋だったはず。そっと近づいて、ドアノブを握る。
「…………………」
 そこにあったのは詰まれたダンボールだった。
 この家に引っ越してきた際に持ってきたダンボールが、整理される機会を逸してここにある。そんな譲にとっては偽りの記憶が思い浮かぶ。そっと一番上のダンボールをなぞれば、指に白く埃がついた。それがこの部屋が十分な時間を過ごしてきたのだという証拠になった。譲はゆっくりとドアを閉めた。





 部屋に戻って鞄の中から生徒手帳を取り出す。ベッドに仰向けに寝転がり、そっと開いた。そこにある写真をそっと、必要以上に丁寧に引き出す。
 写っていたのは、三人。
「……っ」
 眼鏡を取り、枕に顔を押し付けて泣いた。
 今だけだ。
 今だけ。





 机の上においてある写真立て。
 成人式の時に三人で撮った家族の笑顔の裏に、少し古びた、やはり仲良く写る三人の子どもの笑顔がある。



3は、なんかな、いいと思うんですよ。なんかね。