なかなおり
「友くんのばかぁっ!!」
叫んだ声は意外と大きくて、たかっちもちょっとだけ驚きました。
でも、どうしても許せなかったのです。
大きな目に涙を浮かべて、たかっちは紙とクレパスを持って、友くんに背を向けました。
幼稚園の門に、ぱらりぱらりとお迎えにきた親の姿が見られます。
その中に、たかっちと友くんのお父さんの姿も見えました。
友くんはカバンを首からかけて、教室のドアから飛び出します。
たかっちは、そのまま窓を眺めただけでした。
「どうしたの? ともくん行っちゃったよ?」
「いいの」
あかね先生の言葉に、たかっちはぷいっと横を向きました。
「まだ怒ってるの?」
たかっちは返事をしません。
窓の外では友くんがお父さんに抱き上げらていて、その横にたかっちのお父さんがいます。
友くんがふいと横を向きました。
きっと、お父さんからたかっちの事を聞かれたのでしょう。
友くんと友くんのお父さんが門に向かって歩き出しました。
お父さんが上を見上げて、たかっちと目が合います。
そこでようやく、たかっちは教室から出たのでした。
「何かあったの?」
お父さんが聞いても、たかっちは口を開きませんでした。
テレビを見ても、お夕飯を食べても。
たかっちの眉間にはいつもしわができています。
お風呂に入って、お父さんに濡れた髪を拭いてもらってるときも。
眠るときまでそのしわは、取れることはなかったのでした。
けんかをしたのは月曜日。
翌日の火曜日、いつも同じ登園時間がちょっとずれました。
お昼ごはんの席も、離れて座りました。
お昼寝の布団も、離れて敷きました。
おやつの席も、別々でした。
お迎えにお父さんが同時に来ても、一緒に教室からは出ませんでした。
そんな状況が水曜日も、木曜日も。
気付けば翌週の月曜日。
もう一週間、たかっちは友くんと一言も話していません。
流石にお父さんもどうしたものかと悩み始めます。
「ねぇ、どうして友くんとけんかをしたの?」
友くんとけんかをして一週間経った、次の月曜日の夜。
お夕飯を食べ終えたお父さんは、ソファでたかっちを膝の上に乗せて聞きました。
「……………………」
ふいと、視線をそらすたかっち。
お父さんは心の中で溜息を一つ付いて、顔を覗き込みます。
「怒っているわけじゃないよ。ただ、どうしたのかなって思ったんだ」
おでこをこつんとして、お父さんがたかっちを覗き込みます。
たかっちはお父さんの目を見つめて、ゆっくりと口を開きました。
「…………………あのね」
それはお絵かきの時間でした。
友くんとたかっちは隣に座って絵を描いていたのです。
「……あれ? あれ………?」
友くんが何かを探しています。
「どうしたの?」
「うん、青色のクレパスがないんだ。この間使っちゃったのかなぁ?」
「なんだ、ぼくのを貸してあげるよ」
そう言って、たかっちは自分の箱の中からお父さんに買ってもらったばかりの青色クレパスを取り出して、友くんにわたしました。
「ありがとう」
そしてたかっちは自分の絵を描く作業に戻ったのですが。
「あ!」
友くんの上げた声に隣を見れば、その手の中にあったものは。
「だって、おとうさんが、かってくれた、新しいクレパスだったのに」
ぽっきりと二つに折れたクレパスを思い出して、たかっちは悲しくなりました。
お父さんに買ってもらう前の青色クレパスだって、他のクレパスだって、一度たりとも折った事なんかありません。
ですから、買ってもらった新品の、しかも大好きな青色クレパスを折られてしまったことは、たかっちにとってとてもショックなことだったのです。
「クレパスはまた買えば良いよ。折れていないものなんかいつでも手に入る」
お父さんはちょっぴり零れてしまったたかっちの涙をそっと拭いました。
「でもね、もう二度と友くんとお話できなくなったらどうしようか?」
「えっ?」
思っても見なかったことを言われて、たかっちはびっくりしました。
「友くんと仲直りが出来なくなったらどうする?」
「………………」
「友くんは謝ってくれたんでしょう?」
たかっちはこくりとうなずきます。
「それでも、たかみちは友くんを知らんぷりしちゃったんだよね」
おずおずとうなずきます。
「それなら今度は、たかみちが謝らなきゃいけないよ」
「友くん、まだぼくと仲良ししてくれるかな? お話してくれるかな?」
身を乗り出すようにして、たかっちはお父さんに聞きました。
だって、友くんとずっとお話が出来なくなるなんて考えても見なかったのです。
一緒にお昼を食べたり、遊んだり、お昼寝したり出来なくなるだなんて。
「ねぇ、おとうさん! どうしたらいいかな、どうしたら仲直りできるかな!」
「それは自分で考えなきゃ駄目だよ」
また泣きそうなたかっちの頭をお父さんは撫でながら、そうだ、とたかっちに言いました。
「友くんのお父さんに聞いてみようか?」
「友くんのお父さん?」
「何かいい案があるかもしれない」
「うん!」
お父さんはすぐに友くんのお家へ電話してくれました。
「…………もしもし、藤原ですが」
お父さんは二言三言話してから、たかっちへ受話器を渡しました。
「……もしもし?」
『こんばんは、たかっち』
電話の向こうから、友くんのお父さんの優しい声が聞こえてきます。
「あの、友くんと仲直りをしたいのですが、なにか、いい方法をおしえていただけませんか?」
『そうだねぇ………友が喜ぶようなことをしてみるのはどうかな?』
「友くんの喜びそうなこと?」
『そう。例えばね…………』
お父さんに受話器を返して、たかっちは友くんのお父さんに言われたことを忘れないように頭の中で繰り返しました。
ですから、お父さんが友くんのお父さんからその内容を聞かされて思わずちょっと叫んでしまったことには気付きませんでした。
そして火曜日。
たかっちはどうやって話し掛けたら良いか分からずに、お昼までを過ごしました。
お昼ごはんを隣で食べるタイミングも逃してしまいました。
どうしようどうしようと、おろおろしていると、あかね先生がそれに気付き、さり気なく二人を側に寄せました。
「あ、あ、あ、あ、あのっ!」
「………………なに?」
友くんの表情も声もいつもと違います。
怒っているんだと、たかっちは泣きそうになりました。
でも今泣いてはいけません。
何と言ったらいいか散々悩んだ末に、たかっちは覚悟を決めました。
そして。
ちゅっ。
「ごめんなさい!」
『ほっぺにキスをするとかね』
そう友くんのお父さんは言いました。
これで仲直りできなかったらどうしよう。
ぎゅっとつむったはずの目から、涙がこぼれるのが分かります。
友くんから言葉はありません。
と、何かがほおに触れる感触がして。
ちゅっ。
「えっ?」
思わず顔を上げると、友くんがにっこり笑っていました。
それがとても嬉しくて。
たかっちは友くんに抱きつきました。
ごめんなさいは違う気がしました。
でも、ありがとうも違う気がしました。
だからたかっちは、友くんのほおにもう一回キスをしました。
「たかっち、友くん。お昼寝の時間だよ〜」
向こうであかね先生が呼んでいます。
たかっちと友くんは二人そろってあかね先生のほうへ歩き出しました。
隣りに並べたおふとんにもぐって、二人は夢の世界へと旅立ちます。
しっかりと互いの手を握り締めて。
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