アンジェリークの光闇です。
が、実は未プレイという暴挙。
スミマセンごめんなさいごめんなさい。

ドラマCD『緋の輪郭』のみ聞きました。
アンジェは声優が豪華すぎてそれだけで悶える。

気紛れ




 アレが動いた。
 クラヴィスは珍しく執務室のデスクで書類を眺めながらその気配を追う。アレの気配は何故か何処にいてもわかる。それは対だからか、単なる時の流れだからか。アレは後者だと苦々しく言うだろう。私も聞かれたならば、溜息を吐きながら後者だと言うだろう。
 さて、動き始めたアレの気配は真っ直ぐにこちらに向かっていた。サクリアに波がある。また小言かとクラヴィスは息を吐いた。だがしかし。今日、クラヴィスは机の前に陣取り珍しくも仕事中なのだ。この状況におけるアレの反応は如何なるものか。想像して僅かに頬を緩めた。そしてすぐさま元の無表情に戻ると、羽ペンを持ち書類にサインをしていく。
(十、九、八……)
 実際に扉の向こうから聞こえてきた規則正しく堅苦しい、床を高らかに鳴らす足音にカウントダウンを始める。
(七、六、五……)
 並んで歩こうとは思わない。アレは歩幅が広く早足だから。昔はアレが立ち止まってくれたが、今では其処に居るのはオスカーだ。陛下へ謁見するときくらいしか隣に並ぶ事はなくなった。自分の隣にはリュミエールが付き、それを最近心地よく思えている。
(四、三、二、一……)
 時の流れとはそんなものだ。別にそれに対し何を思ったこともない。
 そしてクラヴィスは、今日もあの男の足音に耳を澄ませる。
(零)
「クラヴィス!」
 些か乱暴に扉を開けてジュリアスが部屋に入ってきた。案の定眉間に皺が寄り、手には先日出した書類が握られている。ジュリアスは、クラヴィスが珍しくもデスクで書類にペンを走らせていたことに驚いたようだった。その様な事はないとわかってはいても、ようやく真面目にやる気になったのかとジュリアスは目頭が熱くなるのを感じた。だがそこではたと自分が何故今此処へ来たのかを思い出し、感動を振り払い執務机へと足を進める。
「クラヴィス、何なのだこの書類は! まるで報告書の体をなしていないではないか! 何故書き直しを命じなかった!」
 そう言って机に叩きつけられた書類に、クラヴィスは見覚えがあった。
「これは……」
 それはとある惑星の観察報告なのだが、担当者の仕事のあまりの立て込み具合にクラヴィスが気まぐれを起こして、後は自分が纏めるからと貰ってきたものだった。観察はクラヴィスも関わっていたので大体のところは知っていた。うっかり紛れてしまったらしい。
「私のミスだな、すまぬ。後で書き直して届ける」
「そ、そうか……頼んだぞ」
 いつもなら煩いだの叫ばずとも聞こえるだのそれがどうしただの言われるのだが、予想に反して素直なクラヴィスにジュリアスは呆気に取られた。あまりに呆気に取られていたので、クラヴィスに指摘されるまで机に両手をついた、書類を叩きつけた格好でいたほどだ。
「明日は雨か……?」
 指摘されてもなおその格好を崩すことなく、机に身を乗り出したままでジュリアスはつぶやいた。クラヴィスは止まったペンをまた走らせようとしたが、机に影を落とし続ける彼にある事を思いついて椅子から腰を上げた。
 いまだ机に両手をつくジュリアスに、自分も片手を付き身を乗り出す。
「!」
 驚きに薄く開かれた唇、その隙間に舌を滑り込ませる。歯を噛み締められるより早く奥まで侵入してジュリアスの舌を撫でてやれば、詰めていた息をゆっくりと吐き出す。その温かい空気を思い切り吸い込む。そのうちジュリアスも舌を動かし始め、しんとした広い部屋に濡れた音と互いの呼吸が響いた。いつもならこれがたまらなく恥ずかしいのだが、今日は不思議と冷静だ。いつもジュリアスに持って行かれる主導権が、不動のものとしてクラヴィスの手の中にあるからだろうか。クラヴィスを翻弄する舌は、今日は後手後手にまわり彼の動きを追っている。
 口の端から唾液が零れ落ち、細い糸を引き小さな音を立てて突き返された書類の上に落ちた。その音で我に返ったジュリアスが、勢い良くクラヴィスから離れていく。明らかにジュリアスの顔が赤い。クラヴィスがそっと自分の唇を舐めると益々その色を濃くして乱暴に口を拭った。
「わ、私は戻る!」
 踵を返しいつもより歩幅を広く、速度も三割ほど増してジュリアスは部屋を出ていった。さっきまで規則正しかった足音が、完全にランダムになっている。
「明日は槍か……」
 そっと口元を袖で拭い、クラヴィスは肩を震わせた。こんなに愉快なのは何時以来だろう。
 椅子に座り直し、書類を作り直そうと羽ペンを手にしかけたところでその書類に付いた染みに気付いた。まだ充分に湿っているそれを人差し指で広げていく。最後にその指を一舐めして、クラヴィスはまた笑った。
「明日は槍だな」
 そして新しい紙を取り出すと、書類を纏めるべく羽ペンを滑らせた。