光の境界
彼女が忘れる事で精神の均衡を保っていたのなら、私は覚えている事で同じ事をしていた。どちらが正しいとか正しくないとかそういうことは問題ではなく、そもそもこういうことに正解なんて存在しない。
覚えている事はおかしいだろうか。楽しそうに花に水をやる妹をみながら考える。両親の死体、それに至るまでの過程の推測、その後彼女に起きた出来事。それを忘れる事はどうしても出来なかった。唯一両親の死に顔だけは覚えていない。それが悔しくて仕方がなかった。親戚には会った事が無い。詳細も知らないし調べようとも思わなかった。だから両親の事を知っているのは、私が知る限り自分しか残っていなかった。だから忘れる訳にはいかなかった。二人の存在を消してしまうことは出来なかった。忘却は罪だった。覚えている事が二人への贖罪だ。それは私の勝手な思い込みなのだけれど。
夢の中に、男と女が出てくる。二人とも知っている顔だ。だがどうしても二人を呼ぶ言葉が出てこない。頭ではわかっている。紡ぐべき言葉はわかっている。それでも口に乗らない。何と呼びかけたらよいのかわからない。二人は怒ったような悲しそうな顔をする。いつも、そこで目が覚める。
「父さん、母さん」
そこで漸く口にする。漸く口に出来る。汗を拭いあがった息を整え、その間ひたすらに二人を呼び続ける。詫びるように呼び続ける。
「兄さん、虹が出来た!」
如雨露で撒いた水に光が反射したのだろう。楽しそうに彼女は言った。
無邪気な笑顔が羨ましいとは思わない。ただ、自分の罪の証には思っているのかもしれない。それこそ、忘れるなりして無い物にしなければいけない感情だ。
笑顔で手を振る。空は雲一つ無く晴れ渡っていた。ハンマーで殴られたような頭痛を、私はせめて無かった事にした。
- [07/12/26]
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