ケッコンのススメ




 シグルドが空へと帰った後、目に見えて荒れたのはラムサスであった。最近漸く落ち着いたものの、ジェサイアが胸を撫で下ろす事はなかった。もう一人、気になっている人物がいたからだ。
「おい、ヒュウガ。いるんだろ、開けろ」
 何とか空いた時間にヒュウガの部屋を訊ねた。部屋と言っても自室ではなく、軍の技術開発棟に用意された彼専用の仕事部屋だ。たかがユーゲントの一学生にと思うが、それに見合う成果をこの男は出していた。それは、シグルドがソラリスを去ってから著しくなった。
『……どちらさまでしょう』
 暫くしてから歓迎する気がサラサラない声が聞こえる。無視できない人物とは判断されたようでジェサイアは何となくほっとした。ほっとしたので続ける。
「俺だ。開けろ。十秒以内に開けないなら蹴破るぞ」
『…………』
 九秒後にブツッと通信が切れた音がして、十秒きっかりでドアが開いた。機密性に優れたそれが音を立てて開くと、廊下より少し温い空気がドロリと溢れた。
「……予想以上だな」
「何がでしょう」
 ドアに背を向けてヒュウガは応えた。入口を入って右手奥の部屋の角に備え付けられた机の前に彼は座っている。前と右に壁、左に大きな製図台。反対、左手奥にやはりぴったり壁につけてベッドが置かれ、それ以外の空いた壁に本棚を置いてある。ヒュウガの後ろも例外ではなく、僅かに椅子が動くスペースを空けて彼のすぐ後ろには本棚があった。
 もちろん本棚に驚いた訳でもなければ、何のレイアウト性もない部屋に呆れた訳でもなかった。ジェサイアの想像を上回ったのは、床に散らばった本や紙だった。散らかっているだろうとは思った。足の踏み場もないだろうと覚悟した。だがこんなに山盛りになっているとは思わなかった。ベッドと机を繋ぐ直線上にも勿論散乱しており、踏んで通っているのか紙が皺になっている。良く見ればヒュウガのブーツは、入口に立つジェサイアの右に揃えておいてあった。どうしたものかと溜息を付く。
「踏んで結構ですよ。いらないものですし」
「なら捨てろよ」
 相も変わらずジェサイアに背を向けて、ヒュウガは目の前の画面を見つめている。
 ジェサイアは彼の言葉に甘えて軍靴で紙や本の山を踏み、彼の後ろの本棚に背を預けて一心不乱にキーボードを叩く後輩の姿を眺めていた。
「なぁ」
「はい?」
 いつまでたってもヒュウガから話しかけてくることはなさそうなので、仕方なくジェサイアは口を開く。
「玩具弄りは楽しいか」
「そうですね……楽しいと思います」
「子どもの玩具と違うんだぜ?」
「そうですね。私が子どもの頃、このようなものはありませんでした」
 何かのプログラムが完成したようだ。決定キーを押して後の計算を機械に任せると、そこで漸くヒュウガは椅子を回転させてジェサイアを見た。
「……本当に楽しそうだな」
「楽しいですよ。威力を上げるためにはどうすればいいか、悩みに悩んで作った物がその成果を発揮できたときなんか感動ものです」
 そう云いながら、製図台にあった紙にペンで何かを書き込む。ジェサイアに向けた視線は一分ともたなかった。露骨に溜息をつき、ジェサイアも製図台に視線を移す。その形には見覚えがあった。
「エアッドか」
「えぇ。これはとりあえずこれで完成なんで、今度は小型化しようかと思っています。今のままではあまりにも大きすぎますからね」
「小さくしたところで使える奴は限られてるだろ」
「万人が使える必要はないですよ。指揮官クラスが扱えるだけで充分です」
 あぁ、でも先輩は大雑把だからなぁと、ヒュウガは静かに苦笑した。
 今更こいつに何を言っても無駄なんだろうなと、ジェサイアは思った。口だけなら負かされるのは目に見えている。たまに吐けるこいつとっての決定打は、今の自分には思いつかない。他人の生死なんかはヒュウガにとって何の意味ももたないだろうが、もしかしたら自分の生死でさえこいつは関係ないのかもしれない。
「なぁ、ヒュウガ」
 だから、今から言おうとしている言葉はチンケなものだ。
「お前、結婚しろ」
「は?」
 予想外という一点のみは突けるチンケな言葉だ。
「お前を必要としてくれる奴を見つけて結婚しろ」
「なんですか急に」
「そんで、娘が産まれたら親バカしろ」
「何で娘なんですか」
「お前には娘だ。女の子にしろ」
「私が決められる事じゃありませんし、それに」
 理解できないというように、ヒュウガが後ろを振り返る。視線を自分に持ってこられたと、ジェサイアは少し満足する。
「そんなことしなくても、私は此処に居場所があります」
「軍が必要としているのはお前の賢い脳味噌だ。頭がよければヒュウガ・リクドウじゃなくてもいいんだよ。わかるだろ?」
「先輩は必要としてくれないんですか?」
「悪いが俺にはラケルとビリーがいる。お前を一番にはしてやれねぇ」
 自分から茶化してきたくせに、ジェサイアがそう云うと、ヒュウガは少し悲しそうな顔をした。
「シグルドもラムサスも、お前を一番にはしない。だから、自分で見つけろ」
 ヒュウガの後ろで電子音が鳴る。計算が終了したらしい。
「……なんですか、その手」
「握手」
 ヒュウガが再び画面に向かう前に、ジェサイアは手を出す。訝しげに見つめていたヒュウガは、暫くしてから手を伸ばした。
「お前は、こうやって手を握ってくれる誰かが欲しいんだよ」
「別に欲しがってはいませんが」
「欲しいんだよ。お前は。ずっと前から、欲しがっていたはずだ」
「…………」
 たっぷり二十秒。ジェサイアの手を離して、ヒュウガは再び画面に向かった。
「話はそれだけですか」
「あぁ、それだけだ。可愛い後輩の生存確認も出来たし、帰るわ」
 来たときと同じように紙と本を踏み越えてドアに向かう。
「次来るときは、コーヒーの一杯でも出せや」
「そうですね。置いておきます」
 シュン、と音を立ててドアが閉まる。
 自分とヒュウガとを仕切るそのドアに、また一つ溜息をついてジェサイアは廊下を戻っていった。



部屋の間取りが限りなくおかしいのは無視して下さい。