綿綿となる
馴染みの客を見送った後、店の隅に置いた座卓の前に腰を下ろす。引き戸の向こうに人影はもう無い。読みかけの本を開き、そこに書かれている文字を再び追い始めた。
遠くでちりんと風鈴の音がした。いい加減に時期外れだろう。風は少し冷たくなっている。
退役してからというもの定職には付いておらず、近頃は求められるままに医者などというものをやっている。といっても切るだの縫うだのは設備を揃えるのも大変だし、まずそこまで責任は持てない。だから漢方やら何やら薬を卸し近所の老人方に出している。医者というより近所の薬屋さんだ。
ところがだ。話題の種にと紙の本を一冊出したところ、それは気付けば土間の半分を埋めるほどに増殖していた。先程の客も薬を受け取りに来た近所の人間ではなく、何処で噂を聞いたのやら、わざわざ本を買いに他の惑星から来た客である。
医者の看板は下ろそうか。どうせ相手は近所の顔馴染みばかりだし、そもそも上げたつもりの無い看板だ。下ろしたところで変わるのは自分の気持ちくらいだろう。
それも、変わらないのかもしれない。
今までに何が変わっただろう。あの日から、自分の何が変わったというのだろう。
「十三、いや……十四年、か」
それは長いのか短いのか。気付かないフリをして手元の頁を捲る。
今でも刀は握る。習慣だからというわけではないが、別につけなければいけない決着があるわけでもない。何も無いのだ。そして日は暮れていく。
今日はもう終いにしようと、読み終わった本を閉じて腰を上げた。
ちりんと、風鈴の音がする。
きっとこの風鈴は、真冬になっても鳴り続けているのだろう。
- [08/01/29]
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