つたえたいものがあるよ




 私は、コンソールの前の椅子に座りながら目の前の壁を睨んでいた。視界の右下で着信を告げる小さな赤いランプがチカチカ点滅している。此処まで来たら繋げるしかない。繋いでさっさと用事を済ませて回線をブチ切るのが得策だろう。というかそれしかない。それしかないのにやっぱり二の足を踏んでしまう。
 そんな状態のまま二十分悩んで、仕方なく回線を繋げた。
『貴方ね! 人を一体いつまで待たせるつもりなんですか。別に私だから構いやしませんけどね、他の方にまでこんな事をしてはいないでしょうね?』
 ウィンドウが開く効果音を掻き消す勢いで、目の前に映された兄はいきなり説教を始めた。私は気持ち椅子に沈みこみながらナゲヤリな返事を返す。
「……だから後でかけなおすって云ったじゃない」
『そうやってかけ直した例がないでしょう』
 よーっくおわかりで。
『まぁ、元気そうで安心しましたよ。何しろ家を出てからメールの一つも送ってきやしない』
「悪かったわ。で? 用事は何」
『そうやって話を終わらせようというのも貴方の悪い癖ですよ。久しぶりに会ったのですからそちらはどうですかくらい聞くのが礼儀というものです。直接ではなくとも対面しているのです。切羽詰った状況でないのなら』
「はーいはいはい長くなるから。手短にお願いしますお兄様」
『元気でやっていますか?』
「勿論よ」
 あっけなく返してやると兄はにこりと笑ったまま画面の向こうで硬直していた。わかっているはずなのだ、通信上とはいえ顔をあわせればこうなることなど。プライベートアドレスを教えなかった為に彼はこうやって表向きのアドレスを通じて通信してきた。其処までしてこんな解りきった会話をしたい理由が理解しかねる。
「仕事上にも私事にも至って何の不自由も不都合も不具合もないわ。楽しく暮らしております」
『ちゃんと食事はとっていますか? 仕事が楽しいからって睡眠を削ってはいないでしょうね?』
「睡眠不足はお肌の大敵。食事もまた然り。きちんと取っているからご心配なく」
『それは何より』
「用件は済んだわねそれじゃあ」
『懐かしいものが見つかったので』
 先程の自分と同じように言葉を遮って兄が続ける。
『送りたいのですが、どこへ送ればいいでしょう』
「いらないわ」
 冗談じゃない、何が送られてくるというのだろう。社宅の空間はそんなに広くはないのだ。折角殆ど何も持たずに出てきたというのに、何かを持たされるだなんて。
『そんなに嵩張るものじゃありませんよ。見ていらなければ其方で処分して頂いて結構ですから。勿論送料だってこちらが負担しますし』
 この顔が苦手なのだ。昔から否と言わせぬこの雰囲気。それでいて大体間違ったことなどない。感情のやり場に困る一点を除けば大体兄は正しかった。だから今のこれだってきっと私にとって悪い事ではないはずだ。あの人が、第三者から見て、私に良くない事をした例がないのだから。かといってそれが良いことかといえば言葉に詰まるのだけれど。
 形だけでも頷いて表用のアドレスを送れば、内心を見抜いているだろうとは云え兄はそれで引くだろう。でもそれは何となく気に喰わない。しかしこの状況を打破できるような画期的一言を残念ながら私は持ち合わせていなかった。結局は、提案を呑むしかない。
「…………わかったわ」
 たっぷり悩んでわかりきった答えを出した。それが出来るせめてもの抵抗。形だけの挨拶をして通信を切る。十分後にセンターから荷物の到着を知らされる。こちらへ転送するよう伝えて椅子から降りた。
「何送ってきたんだか……」
 半分開いた箱から覗いたのは、大量の土付き野菜と袋に包まれた三冊の本。
「……博物館物よね」
 幼い頃何度も読み聞かせてもらった、電子情報ではない紙媒体のその本。絵本とはいえ、良いところに売れば一冊で一月位の給料に匹敵する。そんなものが私の実家にはゴロゴロあった。それらに囲まれて私は育った。この三冊は特に気に入っていたもので、端なんてもうボロボロになって保存状態は最悪。それでもほら、捨てられやしない!
「くっそ〜……」
 ジャガイモとにんじんはカレーにしようと思った。肉じゃがにもしてやる。


ウヅキ兄妹が好きだよと、そういうことです。