回甜灯




 A.M.W.S.の格納庫。ずらりと並んだ一般兵士用。その奥に指揮官用。そことは区画を別にして特殊機がいくつか。その中の一つを、エレベーターホールの壁にもたれながらペレグリーはぼんやり眺めていた。
 あの機体が戦場を駆ける様を見たことがある。蝶のように何て良く言ったものだ。自分が入力した操作から出力される機体の動き、整備するごとに変わるコンマ以下の反応を確実に操る。一度触らせてもらったけれど、遊びなんて一切無かった。そんな機体をあの無骨な指が動かしているのかと思うと、驚きを通り越して笑えてくる。そんな今更な事、当に知っていたりするのだが。
 武器は長刀一本。一応銃火器もあるけれど、使われたところを見た事が無い。聞けば銃は苦手との事。そう言えば、彼に勝てる唯一の演習科目が射撃だった。もしかして自分に遠慮しているのか、そう聞いたことがある。その時の彼のいじけた顔といったら。今も忘れられない。盛大に下げてしまった機嫌はコーヒー一杯で直してもらった。
「……まるで走馬灯」
 苦笑する。
 彼はきっと来ないだろう。ここに彼を縛る何かがあるとは思わないが、こちらに彼が求めるものがあるとも思えない。
 そもそも、彼は何も求めていない。少なくともペレグリーにはそう見えた。彼が何を見ていたのか、最後までわからないままだ。きっと、この先も分かる事は無いのだと思うと、少し寂しかった。
「ペレグリー」
 呼ばれて振り向く。エレベーターから彼が降りてきた。相も変わらず長い髪を後ろで一括りにしている。切ればいいのにと思うし口にもするが、ベッドの上でその髪を梳く時間は決して嫌いではない。
「調整?」
「えぇ、直に命令が下りそうですしね。貴女は?」
「貴方に会えるかと思って。最近何処にいるのか掴めやしないんだもの」
 まさか本当にここで会えるとは思っていなかったが。
「すみません。どうもバタバタして……」
「まぁ、お互い様だけれどね」
「それで、何か用ですか?」
「会いたかっただけよ」
「私に?」
「……貴方、面白い事言うのね」
 少し不機嫌に云ってやると、彼は慌ててそうじゃないと首を振った。彼は至極真面目にこんな冗談に反応する。
「うーそ。メンテで今日は終わりでしょう? 今夜暇?」
「えぇ、大丈夫ですよ。ちょっと散らかってますけど」
「いつものことだわ」
 格納庫を二人並んで歩く。彼がコクピットにいる間、私は外の装甲に腰掛けてそれを眺めていた。こうやって彼を見ていられるのも後何時間だろう。もう少し経てばここから自分はいなくなる。その時が過ぎて、彼が生きていて、傷付いていた時、その隣に誰か居るだろうか。自分のいないその場所に、彼は誰かを置くだろうか。
「ねぇ、キスしましょ」
 女々しいったらない。彼と道を違えようというのに違えたくないと叫ぶ自分がまだいる。
「……ここで?」
 同じ道を歩いていたと思いたい自分がまだいる。
「そうよ」
 きっと、ずっと、いる。
「エレベーターホールの方が良かった?」
 入り口に手をかけ中を覗きこむ。呆けた彼の顔が面白くて少し笑う。
「勘弁してください……」
 観念の溜息を一つ付くと、彼はモニタから顔を上げた。ゆっくりと顔を近づける。目を開けたまま唇を合わせる。それを三回繰り返して、開いた隙間に舌を捻じ込んだ。コクピットの縁にかけていた手を片方外し、僅かに驚いた表情を浮かべる彼の頭を固定する。濡れた音と荒い呼吸。それはこんなところには似合わない熱く深く濃いキスだ。唇を放して彼を見るとほんの僅かに頬を上気させていた。きっと自分もそうだろう。そのためのキスだ。
「随分熱烈なお誘いですね」
 唇をなぞる彼の親指を軽く舐め、口の端をそっと持ち上げる。
「だから早く終わらせてね」
 再び外の装甲に腰掛けてコクピットの彼を見つめた。彼は困ったように頭をかいて笑ってから、再びモニタに視線を移す。その姿を見ながら今日のこれからを考える。彼の部屋にきっと食材は無いだろう。もともと小さい冷蔵庫しかない。中身は飲み物ばかりだ。それも自分が持ち込んだ物ばかり。これが終わったら食堂に行って、そこから彼の部屋に行って。シャワーを浴びるのは億劫だ。やる事やってからでいいかな。どうせ汗もかく。
 そうやって、女の自分を置いていこう。
 今の、自分が見えている、自分が見たい彼だけでも全て覚えて、女の自分を置いていこう。この先あの人の下でそんな時間があるとも思えないし、そんな気にはならないだろう。だからここで女は終わりにしよう。全て彼に置いていこう。
 彼が顔を上げてにこりと笑った。たまに浮かべる子どものような笑顔。へにゃりと、この世に何の不安も心配もないような、母親に笑いかけるような無邪気な笑顔。それに笑い返すと、彼はまたモニタに視線を落とした。
 今、世界が終わればいいのに。
 最近何度思ったか知れないことを思う。このまま何もなく過ぎたとしても、将来別れる気がしないでもないが、それでもここで断ち切るよりはいい。
「…………明日なんか来なければいいのに」
「何か言いましたか?」
「愛してるって云ったの、ジン」
「はぁ……」
 初心な小学生のように頬を染めて頭をかく彼を、私は脳裏に焼き付けた。



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