歯車の納まる場所




 小さな巻取り部の歯車と格闘していると、後ろから呆れた声が聞こえた。
「まだかかるの?」
「あぁ、すみません。あと少しなんです。これがはまればまた動くんですよ」
 カメラを片手にそういえば、今度こそ溜息が吐かれる。
「……先に寝ます。もう日付は変わってるんですからね、早く寝てね。どんなにあなたが遅く寝ようが起床時間は変えませんからね。布団から問答無用で追い出すわよ」
「はい、努力します」
 それじゃあおやすみなさいと、ユイが扉の向こうに消える。シタンは苦笑しながら作業に戻った。結局、一段落したのはそれから二時間後だ。フィルムの巻き取り部分にある歯車が欠けていたのが今回の故障の原因で、たまたま手元にあった丈夫な素材からシタンは歯車を作っていた。小さな部品に図面もいらないかと行き当たりばったりで作ってしまったのが時間が掛かった主な理由で、それでも昔から色々工作は得意だったので歯車自体は完璧に仕上がった。
「あぁ、でも次は別のところが欠けそうだけれど……」
 明らかに素材の良い歯車に、いずれは周りが歪むことだろう。だが気にし始めたら夜が明けるどころではすまない。しぶしぶシタンはカメラから手を放す。とりあえず動けばいいのだ。明日の昼ごろ村の人が取りに来る。何とか間に合って良かった。
 フィルムと一緒に布袋に入れて机の上に置き、シタンは伸びをする。明日は薪を取ってこなければいけない。早く寝なければ。
 眼鏡を外しながら隣の寝室へ続く扉を開けた。目の前のベッドでユイとミドリが眠っている。ミドリの横、白いシーツの見える空間はシタンのために空けられた場所だ。
 外した眼鏡を持ったまま、シタンは腕を組みドアの横の壁に凭れた。
「…………」
 それは、絵画のようだった。特に綺麗でも広くもない部屋に、ベッドがあって、そこに二人が寝ているだけなのだけれど、シタンにはそれが綺麗に見えて、そして入っていけない絵の世界のようだと感じられた。明らかにミドリの横は欠けている。そのスペースは、何かによって埋められるべき空間だ。だがそれは自分ではない。そう思った。
 それは別に今特別思ったことではなく、以前からそうだった。まだミドリが歩けもせず、腕の中で無邪気に笑っていた頃でさえそう思うときがあった。不意に自分とそれ以外を何かが隔てて、音や色や気配が無くなる瞬間。向こう側へは決して行けないのだと痛感する瞬間。それはどうしようもない事かもしれないが、自分の家族が其処に居るのに、手を伸ばせないのはとても悲しい事だ。二人に申し訳なくも思う。環境が変われば多少は違うかと思ったが、この村に来ても変化はなかった。そしてシタンは今のように立ち尽くす。
「情けないな……」
 目の前に居るのに。
「手が届かない訳じゃないでしょ」
「っ」
「早くドアを閉めてベッドに入って。気になって眠れないわ」
「……はい」
 シタンはユイの云う通りにする。サイドボードに眼鏡をそっと置いてベッドにそっと入ると、目の前に彼女の顔があった。
「何考えたって構いやしませんけどね、人の顔見て溜息は吐かないで頂戴」
「……はい」
「少なくとも其処は貴方の為の場所なんだから、あなたは其処に納まる権利じゃなくて義務を負ってるの。わかった?」
「はい」
「そして明日の貴方は薪を集めるという使命があります」
「はい、長官殿」
 よろしい。ユイは笑った。
 ベッドの中で身体が温まってくると気持ちも穏やかになるのか、やはりここは自分の場所だと勝手な事を思う。あんなに近寄り難かったのに、手放したくないと思う。胸の中にある空ろはきっと生涯無くなる事はないだろう。でもそれを常に思い出し続けなくてもいいのだと、彼女は笑う。思い出さない事と忘れる事は違う。だから笑っていていいと、彼女は云う。
「ん〜〜〜っ」
「!」
「…………良かった、起こしたかと思ったわ」
 振り上げたミドリの右手が、ぶつかったシタンの服を硬く握り締めた。
 それでいいと、いつかこの子もいってくれるだろうか。三人で笑う日が、そう遠くない未来に来るといい。
「……おやすみ」
 二人にキスをして、シタンはゆっくりと目蓋を下ろした。



HE TA RE !  要リハビリ。
ウヅキ家の間取りは覚えてません。玄関入ってすぐ丸い部屋だったような気はする。