うしろの正面




 目の前のドアがスライドして、現れた光景を一瞬理解できなかった。
 銀髪の後輩が何かに馬乗りになっている背が見える。彼の下から脚がこちらに伸びていて、シグルドが乗っているのが人だと気付く。
 気付いた事を納得している暇は無い。慌てて近寄る、そのほんの数歩が遠かった。背に隠れた向こうにヒュウガの顔があって、その喉に手がかかっている。駆け寄った最後の一歩を踏み切りに、シグルドを突き飛ばす。予想外の一撃に吹き飛ぶ身体を追ってもう一撃、内心で謝りながらしっかりと沈める。
「ヒュウガ!」
 床に仰向けに寝転びピクリともしないもう一人の後輩に近付く。鼻に手を近づけるまでもない、胸に当てた手に体重を乗せ心臓マッサージをした。
「冗談じゃねぇ!」
 目を閉じたヒュウガの口は奇妙に吊り上り、嫌な類の笑みに見える。馬鹿野郎だの糞だのと叫びながら何度か行為を繰り返す。閉じた目蓋が開いたときには力が抜けて尻餅をついた。
 人生で一番緊張した瞬間だった。だから、一瞬の間をおいてヒュウガが笑い出したのを見て沸騰した。頬を叩いても尚笑い続けるヒュウガをそのままに、意識のないシグルドをベッドに運ぶ。随分と大きくなった身体をベッドに横たえて布団を掛ける。そんな二人を、ヒュウガは床の上で笑いながら見ていた。
「何が可笑しい! 死にたいなら一人で死ね! 他人を巻き込むな!」
 怒鳴ると声がぴたりと止んだ。それでも顔は笑ったままだった。
「嫌だよ。ぼくに死ぬ気はないもの。死んで欲しいと思っているのは貴方達でしょう?」
「……?」
「何故お前だけが生きている、死ね、死んでしまえ。ね、ずっとそう云っていたでしょう。でもぼくは犯人じゃないから死なないよ。ね、なら貴方達がやらないとね?」
「おい、」
「ね、だからちゃんと殺してね。貴方達がそう望むんだから、貴方達がそうしないとね。だから逃げなかったでしょう?」
「ヒュウガ、やめろ」
「石を投げられても、唾を吐かれても、殴られても蹴られても逃げなかったでしょう? ねぇいつ連れて行ってくれるの? ぼくを皆のところに、いつ連れて行ってくれるの。ねぇ、いつになったらぼくをこ」
「ヒュウガ!!」
 普段に騙されてそういえば今まであまり気にした事はなかったが、確かにヒュウガもトラウマ持ちなのだ。何故今まで忘れていたのか、迂闊さを呪う。
「……ヒュウガ、戻ってこい。此処はどこだ? 今お前は誰を、人殺しにしようとした」
「…………」
 すっかり表情を落とした黒髪の後輩は、しばらくそのまま呆けた後にゆっくり立ち上がって二人に近付いてきた。
「シグルド」
 ベッドに腰掛けてシグルドの髪を梳く。
「ご迷惑をおかけしました、ジェサイア先輩」
「別に」
 そのまま二人でシグルドの寝顔を眺めていた。
「……部屋に戻ったら、シグルドの様子がおかしくて。鎮静剤を取りにいく前に殴り飛ばされました。そのまま圧し掛かられて、『かえせ』と云われて、後はあまり覚えていません」
「それはお前にとってどんな意味があったんだ」
「子どもを、親を、友人を、隣人を、お前が奪ったものを返せと、毎日云われていました。普段は別に、思い出さないんですけどね」
「……そういう時もあるさ。とりあえずはまぁ無事で良かった」
 お前も寝ろと、隣にあるヒュウガのベッドを叩けば、後輩は素直に従って布団に潜った。
「先輩、私の事、面倒だと思いますか」
「何を今更」
 乱暴に頭を撫で回す。
「寝ろ。今日はもう仕舞いだ。後は明日考えるぞ」
 髪をかき回していた手をそのまま取られ、少し面食らう。そのまま寝ようとするヒュウガに、苦笑しながらお休みと声をかけた。
 さて。
 明日に回したのはいいとして、どうやって決着をつけようか。どちらにも出来るだけ傷が残らない方法を考えなければ。その前に。
「どうやってこの手を抜いたものか……」
 いっそこのまま寝ちまうかな。ジェサイアは二人のベッドの間にある椅子の上で、そっと脚を組み替えた。



何か持って行き方が強引過ぎますね。