師走に便乗




「な。何が欲しい?」
 アイオリアはいつも急だ。何をやるのも事前に計画を立てる事が無く、例え立てたとしてもその通りにいくはずが無く、だいたい物事は失敗に終わりたまに意外なほど大成功を収める。それはともかく。
「私の欲しいもの? 何故?」
「だってクリスマスだろう」
「……キリスト教だっけ」
「いや別にそういうわけではないが。いいじゃないか、口実になるなら何でも」
 この男はそのうち仏陀の誕生日も祝うようになるかもしれない。
「ケーキでも食べるのか」
「違う。お前に物を贈る口実だ」
「口実が無いと贈ってくれないのか」
「いつ何を贈ればいいのかわからないだけだ」
「あぁ、なるほど」
 そこで漸く私は、自分が寝そべっているソファに寄りかかるようにして床に座っているアイオリアへと視線を向けた。
「アイオリアは私に何かくれるというのか」
「さっきからそう言っているだろう」
「急に言われてもな……」
 大きい身体で小さく体育座りをしているアイオリアを眺めながらぼんやり考える。仰ぎ見るようにこちらを見るその顔が可愛いなぁとか思いながら。この男、性格や気質なんかは確かにその名を冠した獅子であるのだけれど、不意に見せる表情や仕草なんかは小さな猫のようでそのギャップが面白い。
「アイオリア」
「それはもうやっている」
「うーん……」
 全てが冗談だとはいわないが、からかいの意味も含んだ言葉にそう真面目に返すのがこの男の良いところだ。
「大体そういうのはもう少し早く聞かないか? 今日が当日だというのに、今から買いに行くというのか」
「あ、…………」
 ほら、考え無し。
「……すまん」
「別に謝る事じゃない」
 どうしようかと考えながら、先ほどまで見ていた雑誌のページを捲る。真冬用のコートだ靴だが賑やかに紙面を飾っているが、さほど惹かれるものは無い。うーん、どうしよう。
「あ」
「どうした?」
 左手の人差し指、ワインレッドのマニキュアが削れていた。どこかにぶつけたのだろうか、塗り直さなければ。
「あぁ」
「だから何だ?」
「マニキュア塗って」
「は?」
「アイオリアにマニキュア塗って欲しい」
「何で!」
「何でもくれるのだろう?」
「何でもって、いや、いいけど……そんなのでいいのか」
「私はそれがいい」
「下手だぞ」
「うん、知ってる」
 だって塗った事無いだろうから。私はいそいそと棚から諸々を取り出した。
「まずコットンにこれをつけて、今塗ってるのをはがして」
「あぁ」
 私はソファにまた寝転がって左手をアイオリアに差し出した。アイオリアは床にあぐらをかいてその手をとり、リムーバーをたっぷりと染み込ませたコットンを爪に当てる。
「あてたまま二十秒くらい待つと取れやすい」
「そうか」
 アイオリアは言われるままに二十秒待ち、そっとコットンで擦った。おぉ、とか声を上げるのが面白い。しばらく頑張った後、どうだと言われたので人差し指を見る。
「まだ脇が残ってる」
「そうか」
 そういってがっしりとした指で細かくコットンを動かす。
「どうだ」
「……うん、大丈夫。残りもよろしく」
「あぁ」
 チマチマと、細かい作業をしているアイオリアが珍しくて見ていて飽きない。広い面積を落として、脇を落として。角度を変え取り残しは無いかと真剣な眼差し。何もそこまでとも思うが、見ていて楽しいのでそのままに。十五分後、左手の指は綺麗になった。
「そしたら、ベースコートを塗って、渇いたらこれを塗って、乾かしてからトップコート」
「これで、これで、これか」
「そう、その順番。一本塗ったら、それが乾く間に他の指を塗るといい」
「わかった」
 彼の手には小さく感じる瓶を開け、縁で刷毛を扱いて親指に。それ、少ない。
「あ……」
 案の定、彼はもう一度刷毛を液に浸す。今度は少し多めに。角度を変えて塗り残しが無いのを確かめると次は人差し指に。そして中指。薬指。小指。
 瓶を変えて真っ赤なネイル。細かなラメが入ったド赤なネイル。
「凄い色だな」
「綺麗だろう」
「カミュの眼の方が綺麗だ」
 こちらを見ることも無くこともなげにまるで挨拶のように。そういう事をそういう風に言う男だ。この男は。
「……そうか」
 だから対応が遅れる。
 ベースコートである程度学んだとはいえ第一回。当然親指は面積が広いゆえに。
「あ」
 掠れた。
 慌ててネイルを取り直し重ねて塗るがムラが出来た。
「…………」
「いい。そのままで」
「だが」
「いいから。ほら、次」
「……あぁ」
 しぶしぶとアイオリアは次の人差し指にかかる。やっぱり掠れたけれど、上手く修正できた。次の中指からは掠れなくなった。代わりにはみだしたが。
 左手を終え、右手もすっかり出来上がる頃にはその出来も良いものになった。最後になった右手の小指など、アイオリアはよし! と声に出したほどだ。
「うん……ありがと」
 私はその両手を見て笑う。
 左手の親指から小指にいき、右手の親指に飛んで更にその小指へ。不出来のグラデーションが何だか心に暖かい。
「なぁ、やはり左手を塗りなおさないか」
「結構。アイオリアの最初の作品だからな。そのままにしておきたい」
「作品ってお前……」
 もったいない。最初は一度しかないのだ。一週間はもたせたい。この派手な赤で年を越そう。
「ついでに足にも塗ってくれ」
 私は寝そべっていたソファに座り、左足をアイオリアに差し出した。アイオリアはそれを手で受る。
「仰せのままに」
 そう言って親指を口に含む。関節に歯が立てられ、指先を舌が舐め上げる。
「アイオリア……」
「決めた」
 ちゅっと音を立てて親指を吸ったアイオリアが、私の足を掴んだまま言う。
「明日は一日中ぐうたらする」
「は?」
「ベッドの中でシャンパンを開けケーキを食う」
 ほう、と顎に派手に赤くなった指を当て考える。
「あぁ…………いいな、それ」
 別にキリスト教でも何でもないけれど、口実があるだけで物事は簡単で分かり易いものになる。理由など自分で作り上げるがたまには誰かの理由に便乗するのもいいかもしれない。
「うん、いいな、それ」
「だろう? よし、ケーキを買いに行こう。ワインとか、ピザとか」
 いや、ピザは冷めるだろう。今日食べるのでなければ。
 というかシャンパンはどうした。ワインに代わったか。
「ね、これは?」
 放り出された左足を揺らす。
「帰ってからでは駄目か」
 思い立ったら即行動の男はそう言って飛び出したいのだろう身体を押さえている。
「…………まぁいいか」
 真夏ではないのだ。この後ソックスとブーツに包まれる足には注される赤など関係ない。帰ってからではうやむやになるかも知れないが、それこそ明日ベッドの上で塗ってもらえばいい。
「絶対に塗るのだぞ?」
「あぁ、約束だ」
「ならば出かけよう」
 私は漸くソファからおり、クローゼットへと足を向ける。ついでにアイオリアのコートでも買おうかな。
「カミュ、行くぞ」
「まーだー」
 もう、これだからあの獅子は。



 気の早い太陽がもうじき沈む。