花びらの行方




 と、と、とっと教皇の間から伸びる石段を降りる。
 降りた先、最初に通る宮は無人。
 ふと思い立ってプライベートエリアへ足を向けると、部屋の窓から庭のバラが顔を覗かせていた。其々が好き勝手に咲き誇る様子は、庭としてはとても美しいといえるものではないだろう。だが部屋の中へと顔を伸ばしたそれは窓から来る光を浴びて、一枚の綺麗な絵画のようだ。
 世話をするべきだろうか。
 残念ながら薔薇は全くわからない。下手に手を出して枯れても困るので、出切る事といっても水遣りくらいか。そういえば、この窓から良く水遣りをするのを見ていた。ふわふわと柔らかい髪を一つにまとめ、陽の下で水をまく姿を見ていた。

 アフロディーテ。

 死んでしまった。美しい人。
 たとえこれが女神への試練なら、なら尚更、どうして聖闘士を失うようなことをするのか。次々に消えていく小宇宙に、自宮から動けない自分の身を恨めしく思った。もし自分が行く事ができれば、貴方が死ぬ事はなかったのだろうか。考えても仕方のないことを思いながら、彼の死体と対面する。
 少し安堵したようなその死に顔。
 結局彼が何を考え何を思い死んでいったか分からないままで。今頃は、シュラとデスマスクとともに笑っているだろうか。あの頃と同じように笑っているだろうか。
 勝手に部屋の中をあさって、紅茶の缶とティーポット・ティーカップとを探し出し、湯を沸かす。何だかんだと言われた事はもう忘れた。最初は教えてくれていたが、やっぱり彼のほうが美味しいと白旗をあげた。彼も葉がもったいないと思ったのだろう、紅茶の入れ方教室は三回で終わった。
 陽がほんの少しだけ傾いて、ふんわりとカーテンがゆれる。全くもって、自分には似合わない部屋だ。
 湯が沸いたので、それでポットとカップを温める。
 ポットに葉を適当に放り込んで蓋。
 少し、もしくはしばらく。
 待った後にカップに注ぐ。
 色はそれなり。
「…………」
 やっぱり違うか。
 記憶の中のそれとは違う紅茶を飲みながら、庭を眺める。元気なバラ。彼がそれはそれは丁寧に世話をしていたから、てっきり弱いものだと思っていた。だがここ二、三ヶ月放置されたバラはそれでも美しく咲いている。以外に丈夫だ。彼が育てていたからだろうか。見た目の美しさには見合わぬ強さを持った彼が育てていたからだろうか。
 あ。
 丈夫なら、何本か切っても平気だろうか。いや、もしくは十何本。そうだ。それはいい考えだ。
 ポットとカップを洗って水切りに入れ、茶葉もしっかり蓋を閉めてもとの棚へ戻す。そして今度は適当なハサミを見つけて庭に出る。好き勝手に伸びた茂みの端っこのほうから綺麗な花をぱちんぱちんと切り取った。塊で取ると何か不味そうなので、あちらこちらから切って集める。綺麗な花から少し色が変わってしまったものまで。ほんの少し、と思った割には結構な束になった。というのも庭が広いからだ。今日初めて知った。
 貰ってくぞ。
 事後連絡。
 ハサミを片付け双魚宮を出た。
「何だそれ」
 どこかへ行くのか、花を手に持ったミロが訝しげに言う。何処へ行くのかと聞けば、カミュのところだと答えた。
 ならばと、手に持ったバラから一輪。
 よろしく言っておいてくれ。
「あぁ」
 とミロが笑う。
 更に下って処女宮。
「何だねそれは」
 目を瞑ったままでも花が分かるのが不思議だ。まぁ、目を閉じていなくてもこの香りならわかるか。双魚宮から貰ってきたのだというと、ふぅん、とたいして興味なさそうに相槌を打った。
 そうだ、コップか何かないか。
 シャカは少し悩んでキッチンへと消えていった。ガシャガシャと危険な音が一分ほど聞こえて、少し埃を被ったシャカが現れる。細く背の高い花瓶。一輪挿し用の。
 どうしたんだこれ?
「いつだかにムウが置いていった。不満かね?」
 水まで入れられたそれに、俺は首を振る。そこに一本白いバラを。ふむ、とシャカは頷いてそれをリビングへともっていった。そのまま居ると「まだいるのかね」とか言われそうなので、一言かけて自宮に戻った。
 うちには花瓶なんて物はないし、まずこんなに沢山は無理なのでバケツで我慢してもらう。そうして麓の街に出かける準備をして飛び出した。
「どうした、そんなに慌てて」
「何です。騒々しい」
 そう言った下の二人に手を振り、聖域を駆け下りる。

 二時間ほどして戻ってくる。
「だから何をそんなに」
 言ってる途中のムウに林檎二つ。彼用と貴鬼用と。
「元気だなぁ」
 豪快に笑うアルデバランにも林檎を二つ。こっちは体が大きいから。
 双児宮、巨蟹宮と無人の宮を抜け獅子宮に戻る。
 よし。
 バケツの水につけておいたバラと買ってきた材料と、教えてもらったメモ。
 よし。



 聖域の外れ、歴代の聖闘士の眠る地。そこに、こんなに早く黄金聖闘士の墓が出来るとは思ってもいなかった。形だけだが、アイオロスの名前もある。
 サガの墓には街で買って来た花。アイオロスは果物。デスマスクには煙草。シュラには酒の小瓶。カミュは小さな赤いネイルカラーの瓶。ミロの置いた花の隣に。そしてアフロディーテには彼の庭から取ってきたバラと、小瓶に詰めたジャム。
「甘くなった。ものすごく」
 ついでに少々焦げた、バラジャム。甘い中にほのかな苦さ。すこーしカラメル色。
「ま、こっちは何とかやってるよ」
 貴方の育てたバラも元気だ。聖域も、来るべき聖戦に向けて態勢を立て直している。何で貴方が死ななければならなかったのか考えても無駄だから考えない。代わりに明日を考える。残ったこの世界を考える。
「頭悪いからな」
 沢山の事は抱えられないのだ。



「…………さて」
 帰ってキッチンを片付けなければ。そして残っているジャムを皆に配ろう。女神にも是非食べていただこう。
 不味くはない。はずだから。少し、苦いだけで。