不可逆変化




「お前は私のものだ。わかっているだろう、デス。棄てられた猫に構うのはいい。だがもう止めておけ。情が移れば飼いたくなるぞ。お前は優しい子だからな。だから爪を立てられるうちに止めておけ。後を付いてくるようになったら困るのはお前だ。それに、私が許すと思うか? お前は私の物なのだから。私の許し無く勝手なことはするんじゃない。わかるだろう? お前は賢い子だからね。帰ってくるのは此処なのだと、お前はわかっているだろう? 他の何処でもない、お前は此処に帰ってくるのだ。お前は他に居場所を作らなくていいのだ。お前は他に居場所を知らなくていい。此処がお前の居場所だ。此処がお前の在るべき場所なのだ。だからこれ以上お前は何処に行かなくてもいい。お前は此処に在ればいい」
 そんな事出来ないと、あんたも俺もわかってんのにな。



 聖衣の擦れる音が甲高く響く獅子宮。最初のあの日のように遠慮なく進んでいく。あの日と違うのは俺が聖衣をまとっている事。他も、多分、全部が違う。
「デス、報告は終わったのか?」
「あぁ……」
 俺は聖衣を外してソファの脇に投げ出すと、そのままうつぶせに寝転んだ。
「デス?」
「寝る。一時間経ったら起こせ」
「疲れてるのか? ベッドで寝ればいいだろう」
「仮眠だからいいんだよ」
 顔を上げずにそう答えると、呆れたような溜息と遠ざかる足音。しばらく待てば再び近づく足音と、かぶせられるブランケット。もはや恒例。慣習。決まりきった行動だ。俺が獅子宮のソファで仮眠するのもこいつがブランケットを持ってくるのも。

 何かが変わってしまったのだ。

 アイオリアは大抵指定した時間に俺を起こした。たまに自分も一緒に寝てしまい気付けば夕方だったりするわけだが。その後は自宮に戻ったり、そのままボーっとしたり、あいつの出す砂を吐くほど甘いココアを飲んだり、俺がありあわせの材料で飯を作ったり、それすら出来ないほどの場合は麓まで買いに行ったり。更にその後はそこで自宮に戻ったり、風呂を借りたり、やることやったり、何もせずただ一緒にベッドで寝たりする。そして時々、俺は一人十二宮を昇ってサガとやる。行く頻度は少し落ちたかもしれないけれど、そう大して前と変わってはいないはずだ。でもサガは様子を少しずつ変えていた。原因はわかってる。きっと。
「お前は私のものだな」
 そう悲しそうな顔をするから。それも黒い方が。
「あぁ、そうだよ」
 だからそういう。黒かろうと白かろうと、俺に居場所を与えてくれたのは確かにこの人だし、そんな彼の為になろうと確かに一度は誓ったのだし。
「俺はアンタのものだよ」
 だから何をされても別に何とも思わないが、最近それが徐々にエスカレートするので少々困ってきた。引っ掻かれたり噛み付かれたり縛られたりはまだいい。だけどある日骨を折られたときは正直困った。痛いし。その後白い方が治してくれたとはいえ、これが今後も続くのかと思うと少し嫌になった。何で嫌になったかといえば、きっと変わったからだ。何かが。
「お前は」
 そしてもう一度折られるのだ。
「私のものだ」
 俺は即答できなくなる。
 俺は曖昧に笑うようになる。
 サガは悪化の一途を辿る。
 俺はまた、骨を折られる。



 ベッドに入ってからきっかり一時間。隣でアイオリアは無防備に寝顔を晒していた。間抜けな顔だと少し笑う。寝ている奴を起こさないよう静かにベッドから下りた。今日も呼ばれている。少し気が重い。何で重いのか。きっと、変わったからだ。ほんの気紛れで、俺は俺の何かを変えてしまったからだ。
「馬鹿じゃねぇの?」
 思わず漏らしたそれが悪かった。
「行くのか」
 背後から聞こえた声に、俺は舌打ちをしたくなった。
「また、行くのか」
「あぁ」
 仕方なく振り返る。
 闇に慣れてもアイオリアの表情は捉えきれない。
 さて困った。何に困ったのかわからない辺りが困った。アイオリアは俺が教皇に成り代わったサガとやってるってのは知ってるし、それが今も続いていることを知っている。だからさっきの問いは上に行くのかという事で、それに俺はイエスと答えたわけだ。よくよく考えれば酷いことだ。アイオリアは多少なりとも俺に好意を抱いているらしいし、それが他の奴の所に行こうってんだ。
 でも今までならきっとアイオリアは俺を止めなかった。
「俺が」
 だからこれから先は俺のせいだ。
「行くなと言ったら」
 伸ばされたその手を取ったのは俺だから。
 まぁいいかと簡単な気持ちで、アイオリアに対してもサガに対しても簡単な気持ちで、その手をとってあの手を取らなかったのは俺だから。そこで俺が選択したから、きっとその後の事は俺のせいだと思う。
 少なくともこの二人の全ては、俺のせいだ。