le joyeux jour
今日は騒がしい一日だった。
副館長がおかしな陰謀をもって、館長とその腹心である僕(だと思われていたようだ。そう思われて悪い気はしないけどね)を始末しようとした。それに加えて、明確な因果関係はまだ分からないが、真神学園の生徒が巻き込まれた。
どうやら先方一番の狙いは緋勇龍麻だったようだ。彼は館長とも浅からぬ関係をもち、しかも僕の弟弟子にあたるそうだ。その辺りを考えると、どうやら緋勇は人とは違う因果をもっていそうだ。今回狙われたのもその辺りが理由だろう。
副館長の不審な挙動に感づいていながら、十分な対処をとれなかったお詫びに僕は緋勇と行動をともにする事にした。今までずっと単独で闘ってきた僕からするとそれは意外を通り越して驚きの行動だった。ただなんとなく、彼等にだったら協力しても良い気になったのだ。
それが今日の深夜零時から約二三時間の間に起こった事だ。なんとも、騒がしい事だ。
もう慣れた寝不足の頭に授業の内容を叩き込み、僕は放課後、館長の部屋に簡単な報告に行った。本当ならば朝一番に行うはずだったのだが、館長が急ぎの用事という事で放課後になった。おそらく昨夜の事件の事後処理に追われていたのだろう。
部屋に入った瞬間、僕は唖然とした。オーク材でできた館長の重厚な机が真っ二つになっていて、その上窓ガラスには全部ひびが入ってた。その内の何枚かは完全に割れている。
「あぁ、紅葉か。すまない、散らかっていて」
館長は苦笑すると、「龍麻が来てね…」と呟いた。
「案の定、ひどく怒られたよ。あの子はああ見えて激情家でね、自分の友達が巻き込まれた事に本気で怒っていたよ」
ひび割れた窓ガラスを見て、館長は嘆息を付いた。
「殺気だけでこんな風にしてしまった。その上、周辺にはその気配が漏れないように簡易結界を張る程の周到さだ。本当に、成長したよ」
多分、僕は青ざめていた事だろう。館長の身にもしもの事があったらと思うと、血の気が引いた。と同時に、緋勇への怒りが涌いてきた。
「大丈夫だよ、あの子は優しい子だからね」
僕の内心を読み取ってか、館長が言った。
「お前に会えて気分がいいから、この程度で済ませてやると言っていたよ」
声を立てて笑う。
「お前が私を頼りにしている事をしっかり見抜いているようだね。全く、人の心に聡い所が父親そっくりだ」
懐かしそうな顔でどこか遠くを見ている館長を見て、僕はちょっと複雑な気分になった。緋勇がそんな事を言っていた事も意外なら(何で僕に会えて気分が良くなるんだ?)、内心を見透かされているようで少し抵抗を感じた。
「多分、お前を待っているよ。行っておやり」
館長はそう言うと、校門の方角を指差した。
報告は龍麻の話から大体分かったから、正式なものを後日提出するようにと言われ、僕は館長の部屋を出た。入れ替わりに、清掃員が館長の部屋に入って行った。
校門まで歩いて行くと、門柱に寄りかかる緋勇の後ろ姿が見えた。僕が近づくとくるりと振り返る。
「悪かったな」
右手には煙草があった。一息大きく吸い込むと、緋勇はもう短くなったそれを門柱にこすりつけて火を消し、ズボンのポケットから携帯灰皿を取り出した。
色々言いたい事はあったが、何から言えば良いのか分からず、僕は黙っていた。
「悪かったな」
緋勇が繰り返した。
「本当はもう少し穏やかに文句を言うつもりだったんだが…いけしゃあしゃあと目の前に立たれたら我慢が利かなくてな」
緋勇はひょいっと肩をすくめてみせた。最期の方は溜め息が混じっていた。確かに、多少の後悔はあるようだ。やり過ぎた、とでも思っているのだろうか。
思い返してみれば、館長自身に傷がつくような事はしていないようだったし、緋勇なりに一応気は使ったのかもしれない。
「まぁ、あいつがした事への怒りだけは混じりけないがな」
緋勇はそう言いながら別のポケットからハイライトを取り出した。
一本抜こうとするその手を、僕は咄嗟に止めていた。
「壬生?」
「体に…悪いから…」
間抜けた僕の言葉に、緋勇はきょとんとした顔をした後に、眩しそうに笑った。それは光がにじみ出るような笑いだった。
「ありがとう」
いままで聞いた事がないくらい、優しい声。
それを聞いたら、いままでわだかまっていたことが全て、それこそ煙のように、消えてしまった。
本当に、緋勇は変な奴だ。
「で、なんで付いてくるんだい」
「や、なんとなく」
家に帰ろうと歩く僕の後ろを、てくてくと緋勇が付いてきた。
「帰りなよ」
「やだよせっかくここまで来たんだし」
電車賃だって安かねーんだ、と緋勇が文句を言った。
そんな事知らないよ、君の勝手じゃないかと僕は心の中で言い返した。
僕を待っていたのだって館長に会うついでだったのだろうし、何も僕にくっ付いてくる事はない。顔を見ればそのまま帰れば良い事だ。それなのに緋勇は素直に新宿に帰る気はないようだった。
彼が何をしたいのか、わからない。
僕はどうしたらいいのかわからないまま、かといってそのまま家に連れ込むわけにもいかず学校の周辺を適当に歩き回った。
「第一僕に何の用があるんだい」
「や。用っていう用はないんだけど…。強いていえば話をしたかったというか、まぁそんな感じなんだけど」
「話?」
何の話をするというのだろう。呼び出しや連絡先についての話は昨夜済ませたはずだ。それとも八剣の言っていた「あいつ」について何か新しい発見でもあったとでもいうのか。いやまさか。昨日の今日で何か発展があったとは考えがたい。
「や。別に何か連絡した事があるとかそういうハナシじゃなくってだな、いわゆるおしゃべりだ、おしゃべり。無駄口?雑談?まぁそんなもん」
僕の表情を読んでか、緋勇が先回りして言った。
その内容は僕にとっては理解しがたいものだった。
「…僕とそんな話をして楽しいとは思えないけど」
「やだなぁ、もー壬生君ったら。照れ屋さ〜ん」
にやっと笑って緋勇が言った。大げさに腕を振り回してくるりと身体を回転させ、僕の目の前を塞いだ。
「邪魔だよ」
「邪魔してるんだもん、そりゃ邪魔さ」
子どもみたいに笑う。
身長は僕と並ぶくらいで長身の部類に入るし、体格だって細めではあるけど骨は太くてガッシリしているというのに、緋勇は幼い。
「いーじゃんいーじゃん。俺たちもう友達だぜ?友達が友達んとこ遊びに行ったっておかしいことないじゃん」
「いつ君と僕が友達になったんだい」
「本日の深夜一時頃」
「僕にそのつもりはないんだけど」
緋勇に手を貸すのだって、借りを返すというだけのことで、別に緋勇と友達になりたいとかそういうつもりはないんだけど、それなのに
「俺がそう決めたから俺と壬生君は友達」
緋勇はまた子どものように笑って、言った。友達だというなら僕の都合は一体どこにあるんだとちょっと腹が立った。
腹が立った僕の手を、緋勇が急に掴んだ。
慌てて引っ込めようとした僕の手を無理矢理掴んで、緋勇は激しく上下に降った。
数回降った所で緋勇は手を離した。咄嗟の事に困惑していると、緋勇は悪びれた封もなくあっけらかんと言った。
「これで友達」
「はぁ?」
こんなガラの悪い声を出したのは初めてだ。
どうも、緋勇といると調子が狂う。僕が僕じゃなくなっていくようだ。
「握手したじゃん」
「握手というか君が無理矢理引っ掴んで…」
「だから友達」
こっちの話聞けよ、と胸の内で思いっきり愚痴った。当然緋勇には聞こえないから、緋勇は一人で勝手に笑った。
「べっつにさー、そんな固くならなくてもいいじゃん。友達出来たからって世界が終わるわけじゃあるまいし。時々遊びにくる変なのが一人いるってんでいいじゃんか」
そりゃ君にとってはそうかも知れないけど、と一言言ってやろうと緋勇の顔を見たら、緋勇の僕の顔を見る目が余りにも優しくて、文句は縮こまって消えてしまった。
「まぁ壬生にとって何か目的が欲しいんだったら……そうだな、今から一緒に稽古でもするか?」
「はぁ?」
突拍子もない提案に、僕はまたガラの悪い声を出してしまった。
「や。だって流派同じじゃん?しかも《表裏の龍》だぜ?ちょっとお互いの技見てみたいじゃん」
その提案はしごく真っ当なように僕にも思えて、よくも考えずに頷いてしまった。
緋勇は頷いた僕を見て馬鹿みたいに嬉しそうな顔をして見せた。
「やった!な、拳武館にする?それとも別の道場?」
やれやれ。本当に今日は騒がしい。