きんぴらごぼうのゆくところ




家に帰ったら龍麻がいた。
帰国は一月も先の予定だったから、僕はちょっと驚いた。玄関先の泥まみれの靴を見て、(どうしよう)と思った。
居間に入ってみれば、龍麻は「今しがた帰ってきてシャワーを浴びるだけ浴びました」という格好で、一方僕は仕事で昨日の昼から東京中を駆け回って漸く帰ってきた有様だったから、二月ぶりの再会の喜びを表現しようにも出来ず、困ってしまった。
龍麻はそんな事おかまいなしに
「おかえりただいま。腹減ってる?」
と、暢気な口調で僕に言った。
「ただいまおかえり。減ってるけど僕は作らない」
僕はそう言い残して自室にコートを置きに行った。
冷蔵庫の中身は碌なものじゃない。僕には作れない。それにクタクタに疲れていて、腹は減っているけど正直ビスケットと牛乳で済ましてベットに倒れ込もうと思っていた。
「作っとくから、シャワーでも浴びれ」
龍麻の声が台所から聞こえた。
龍麻も僕も、料理は嫌いじゃない。むしろ得意な方だと思う。
でも性格のためかどうかは知らないけど(多分、性格のためだと思うけど)、僕と龍麻の作る料理は全然違う。
龍麻の料理はすごくおいしいし、評判もいいけど、名前がない。「これは何だい」と聞いても「炒め物」とか「煮物」とか「スープ」としか返ってこない。稀に「中華風」とか「スペイン風」といった形容詞がそこにくっ付くくらいで、基本的に冷蔵庫の中にある物を適当に切って、龍麻が世界各国で買い集めてきた調味料やスパイスで適当に味付けをして、完成する。
なんでそんなことでおいしい料理が出来るのか僕は不思議でならない。
逆に僕は名前のついた料理しか作れない。だからハッシュドビーフとか、かぼちゃコロッケとか、麻婆豆腐とかを作るのは僕の分担になる。
流石に僕も調味料のさじ加減までいちいち量ったりはしないけど、なんであんなに適当に料理が出来るのか、僕には理解できない。
今の冷蔵庫の中身は実に龍麻向きで、逆に言えば僕向きじゃない。三日前に作って以来買い出しに出ていないから、ロールキャベツとホワイトシチューを作った余りの食材が中途半端に残されている。
そんな中途半端な食材で、龍麻は炒め物とサラダを作った。
キャベツと鶏肉とニンジンが仲良く炒められ甘辛く味付けされ、ジャガイモとブロッコリーと卵がやはり仲良くサラダになった。
不思議に美味しい龍麻の料理を、僕たち二人は向かい合って黙々と食べた。
「明日、買い出しに行ってくる」
龍麻がせっせと箸を動かしながら言った。
「うん」
「サバの味噌煮と筑前煮ときんぴらごぼうと炊き込みご飯が食べたい」
「塩分が強すぎるよ」
「若いから大丈夫。後で買い物のリスト作っておいて」
「いいけど、きんぴらごぼうは明後日に回そう」
「うん」
きんぴらの代わりは冷や奴かな、と思う僕の口の奥で、甘辛いキャベツの芯がかりりと鳴った。



何が言いたいのか、というと、こういうちょっとした瞬間に二人は幸せをかみしめてるんだよ、ということを言いたかったんじゃないかと思うんじゃないかと思います。あるいは龍麻は大雑把で壬生君は几帳面なんだよという血液型占いに則った性格の違いを料理を通じて表現しようとしたのかも知れない。
よくわからない。書きたいから書いた。そんだけですはい。わーわー。すみません。
ちなみに龍麻が早めに帰ってきたのは龍麻専用壬生センサーに反応があったからですきっと。