冬ノ盛




そろそろ壬生が来るな、と思った。
気まぐれな友人の来訪は、いつもなぜか予感を伴う。
ある時に来るな、と感じて、それが日増しに高まり間違いなく来ると思った数日後に、間違いなくやって来る。
大概、用件はない。
だが彼は用件はないと言うのが不得手な人だから、「用件は何か」と聞くと困った顔をして「お邪魔でしたか」と言う。そうではないと否定して座敷に上げても、どこか申し訳なさそうにしている。
それが癪だから、「来るな」と思った辺りには予定をつめることにしている。漬け物を漬けたり味噌を仕込んだり大掃除をしたり店の整理をしたりしておけば、先方に用事がなくとも居座る理由ができる。
僕としても彼が尋ねて来てくれるのはとても喜ばしいことだから、居心地悪くなく過ごしてもらえたらこの上ない。
ついでに一人では面倒な用事が簡単に片付くわけだから、ますますもってこの上ない。最近家事の負担が軽くなったような気がしているのは壬生のおかげも少なからずある。先日など繕い物をしてくれた。僕は裁縫が不得手だから、とても助かった。
そういって礼を言うと、壬生は嬉しそうに笑う。
このなんとなくの可愛らしさが僕は好きだ。誉められ慣れていないというか、人慣れしていないというか、一歩引いたところが奥ゆかしいとすら思わせる。
そのクセ自分の進む道や実力には迷いがなく、そのアンバランスさが面白い。
常識人ぶっているのに、時々突拍子もないことをしでかしたりするのも、好ましい。
食事を饗しようとすれば必ず手伝うし、片付けは買って出る。仕事が丁寧で静かだ。食べ物の好き嫌いはしない。教養は深いし、僕の話を興味深そうに聞き入ってくれる。返しも適切だ。

あぁ、好きなのだな、僕は。彼のこと、壬生紅葉のことが。

つらつらと壬生のことを考えていたらそんな結論に落ち着いた。我ながら、思わず笑ってしまう。
そして同時に、あぁ、こういう温かな気持ちを素直に受けとめられるようになったのだなと感じ入る。かつては好意などは掃いて捨てるものと思っていたにも関わらず。友情や愛情など捨て置くものを思っていたにも関わらず。
さて、僕を変えてくれた友人は今どうしているのだろう。卒業後すぐに中国に渡ってしまい、以来一年近く音信不通だ。賀状の一枚でも来てはくれないかと期待しているが、果たして郵便がある場所にいるのか不安だ。もっとも、本人はピンピンして愉快に生きているだろうが。
また笑みが漏れる。
思い出して、笑みが漏れる人がいることはとても幸せなことだ。そして素直にそう思える事は、もっと幸せな事だ。
さてと。
考え事は終いにして、僕は立ち上がった。
今回はどんなことを押し付けようか。あの、僕と同じ闇を往く友人に。



どう考えても如壬生な流れになってしまいましたが、これでも壬生如のつもりです。
なんとなくこの組み合わせは先に如月が気持ちに気付きそうだな、と。というか如月が気付かないキャラだったら一生すれ違いで終わりそうなの、で…。
ちなみに如月のいう「好き」は友情です。友達以上恋人未満な愛着。いつくっつくんでしょう。というかくっつくのか?この流れで(笑)