重なる -12-




「くくっ、くくくくくっ……そうさ、俺様は今この世界を支配する事ができるんだ。だってそぉだろう?糸が見えるんだ、運命を操る糸がよぉッ」
時間稼ぎの為に必死に言葉をかけてきた莎草だが、なかなか隙を見つけられなかった。
少しずつ丹田で気を錬成してはいるが、余り派手にやるとこちらの意図を見抜かれそうでおおっぴらにはできない。仕方なしにひたすら言葉を探す
「お、俺の糸も見えるのか?」
「くくっ……お前は後回しだ」
龍麻の顔から血の気が引いた。
「時間稼ぎもよぉ、大概にしろってこった。まずはこっちからやってやるさ!よくも俺様を振りやがって…ッ!」
「やめ……ッ!や、やめて、くれ!」
声を震わせながら龍麻は言った。
懇願する龍麻に莎草は酷薄な笑みを見せる。
「はッ!良い気味だぜ…俺はなぁ、お前も気に喰わなかったんだ。いっつも涼しい顔して人を見下してよぉ」
「そんっ……」
龍麻の顔がくしゃりと歪んだ。
人を、見下して。
違う!それは違う!と、龍麻は心の中で叫ぶがしかし、完全に否定は出来なかった。人と関わろうとしない自分は、つまり自分を特別視してはいないか、それは龍麻が自らの心の中でひっそりと恐れていた事そのものだった。
莎草の言葉が胸に突き刺さる。
「いいからそこで見てるんだな…人間が人形になるところをな!」
「やめろッ!」
「ーーッ!?」
飛び込んで来たのは比嘉だった。
予想外の乱入に龍麻は驚愕した。何故だと比嘉を凝視する龍麻を比嘉は軽く睨んだ。
「ったく、緋勇!友達相手にひでぇことしてくれるな!」
それでも友達と呼んでくれる事に龍麻は内心ほっと嘆息した。が、すぐに顔を引き締め「戻れ、比嘉!」と叫ぶ。
「誰が戻るかよ!友達がピンチだっていうのに見捨てられる程俺は悪人じゃないぜ!」
「違う!コイツはお前が思っているような相手じゃ…」
龍麻が皆まで言わないうちに、莎草の身体がほの紅い光に包まれた。
「な…ッ!?」
言葉を失う比嘉を見て龍麻は舌打ちする。が、気を発するには莎草が比嘉に集中しているこの瞬間しかないと判断し、一気に丹田で気を練り上げる。
ゆらめく莎草の気の高まりに隠れ、龍麻は自らの気を錬成した。
「比嘉ッ!動くんじゃねぇえぇぇッ!」
莎草が叫ぶ。
気が高まる。
莎草の気の爆発に息を合わせ、龍麻は気を放った。
赤黒い莎草の気に混じって、龍麻の黄金色の気が弾けた。
「!?」
比嘉が自分の異変に気付くと同時に、莎草は龍麻の異変を察知した。
「なんだッ!?なんだぁあッ!」
龍麻を操ろうとしてそれが出来ない事に莎草は叫び声を上げた。
「莎草!もうやめるんだ。お前の持つ価値はもう、俺も比嘉も青葉も、よくわかってる!」
莎草を正面から見つめながら龍麻は叫ぶ。莎草は龍麻の言葉を聞いて憤怒の表情を浮かべた。
「………ックショォオッ!だからテメェは気に喰わねぇんだッ!そうして人を見下して、テメェはそんなにお偉いわけかッ!?俺を認めてやるってか!?」
「違う!そうじゃない!」
莎草の言葉に、龍麻の顔が歪む。
「うっせぇ!…いいぜぇ…テメェから始末してやる!」
「やめろ!莎草、やめてくれ!」
もはや悲鳴に近い声を龍麻が挙げる。
「……見てやる…テメェの運命の糸を…」
莎草の身体を再び赤黒い気に包まれた。力を発動しようとする莎草に対抗して、龍麻も気を高めた。暖かい光が龍麻の身体を包む。
龍麻の異変に、比嘉は言葉を失う。驚く比嘉を横目に、それでも龍麻は力を緩めなかった。
「ーーッ!?なッ!なんだ!?見えない、コイツの糸が見えないッ!」
「莎草、誰もお前を蔑んじゃいない!しっかり話せば、きっと理解されるから!だからこんなことは…ッ!」
「ック…ソォオオォオォォオォオォオオ!!」
「莎草ーーッ!!」
赤色が増す。
光が強まる。
莎草の全身が、赤黒い光で、包まれる。
龍麻は、泣きそうな思いでその様を見た。
目は、反らさなかった。
自らの甘さが招いた事態から、自らの未熟さが招いた事態から、目を反らしてはいけないと思った。
赤い光が一帯を埋め尽くす程にまで強まり、やがてそれが治まった後、そこにいたのはもはやヒトではなかった。
鬼が、いた。

この鬼は俺が生んだ鬼だ。

だから、

俺が、

殺す。

鬼と化した莎草は、龍麻の予想を上回る威力だった。
長い時間拘束されていたせいで、思うように身体が動かない龍麻に、莎草だったモノは容赦なく攻撃を仕掛けてきた。
既に拘束を解かれた比嘉はさとみに駆け寄って寄り添い、龍麻と異形の闘いを固唾をのんで見ていた。完全に腰に力が入っていないのが一目で分かる。当然だろう、元同級生が目の前で鬼になったのだ。そして自分の「友達」がそれを互角に戦っている。恐怖心を抱いて当然だ。
チクリと胸が痛むのを気付かなかった振りをして、龍麻は莎草に拳を放った。
莎草の動きは龍麻程鋭くはなかったが、しかし放つ力は一つ一つがかなりの威力を持っていた。一撃でも当たれば終わりだ。龍麻はそう思って必死に避けた。が、それは接近戦が主の龍麻に相当な苦戦を強いる事となる。
莎草の放った拳の風圧が龍麻の頬を切り裂く。散る赤を気にも留めないで龍麻は一瞬の隙を縫って莎草の懐に飛び込んだ。
精一杯の力を、同情や情緒を込めない、精一杯の力を拳に乗せて、龍麻は一撃を放った。
ゴガッ
鈍い音が廃屋に響いた。
吹き飛ばされ、もんどりうつ莎草と一気に間合いを縮める。
「これで、最期だ…」
自分の声が震えている事に、龍麻は気付いていた。
今から、殺す。
かつては、ヒトだったモノを。
また。
自分は。
殺す。
また。
ヒトを、殺す。
殺す。
殺す。
殺す。
殺す。
殺す。
殺す。
殺す。
殺す。
殺す。

コ   ノ   ヒ   ト   ゴ   ロ   シ   メ

腹の底から断末魔を挙げたかった。
本当の断末魔を挙げるのは莎草だというのに。
右の拳に気を乗せる。
丹田で練り上げた、重く堅く強い気だ。
鬼といえどもこの一撃を喰らえばひとたまりもないはずだ。
「莎草………ッ」
悲痛な思いで龍麻は拳を引いた。
これで、最期だ。
そして今まさに放とうとした瞬間、だった。

右後方から、凄まじい気の一撃が飛んだ。

それは莎草を直撃し、龍麻が拳を放つ前に莎草を、消した。
謎の一撃に弾き飛ばされた莎草の身体は遠く左方向に吹き飛び、床に二三回叩き付けられた後、儚げな光に包まれそして、霧散した。
きらきらと、それまでの異様な姿に似つかわしくない程美しい光に包まれながら消えて行く莎草の身体を、龍麻は呆然と見つめた。
その最期の一欠片が消えた時。
虚空にかき消されるように最期の光が消えたとき。
何者かが、龍麻の背後に立った。
既視感が、龍麻を襲う。
こういうことが、あった。
この気配が背後に建つ事が。
目の前が急に暗くなった。
大きな掌が後ろから、自分の目を覆っているのだとすぐに気付く。
暖かい、血の通った手。
少し骨張っていて指が長い。
人の、体温。
知っている気配。
これ、は、
「遅くなってしまって、すまなかった」
急に膝の力が抜けて、龍麻はその場に崩れ落ちた。

「な、ん…?」
流石に意識は失わなかった龍麻は、そのまま壬生に抱きかかえるように支えられた。
「君が館長に連絡を入れた時に丁度居合わせてね、君の身にきっと何か起こったんだろうと思って」
壬生は腕を龍麻の膝裏に回すとそのまま抱え上げた。
全身に感じた思わぬ暖かさに、龍麻は身体を強張らせた。が、すぐに脱力して壬生に凭れ掛かる。壬生が纏う気は何故だかひどく心地よくて、そのまま眠ってさえしまいようだった。信じられないくらいに安らいでいる自分に気がついて、鼻の奥がツンと痛む。
龍麻が緊張を解いたのを確認してから、壬生は廃屋の外に向かって声を掛けた。すると蘇我道場の門下生がばらばらと入ってきた。
「彼らを道場で保護してくれ。指示は後で館長から出る。…丁寧に待遇してくれ。不自由がないように」
壬生は門下生にこう言うとそのまま踵を返した。
「緋勇!」
比嘉の声が、聞こえる。
龍麻はぎゅっと目を閉じて、俯いた。
「緋勇!」
もう一度、声が聞こえる。
「明日!明日学校で!…待ってるからなッ!」
遠のいてゆく声の最後の一言に、龍麻の目から一筋の涙が零れた。

壬生はそのまま龍麻を新宿の家まで送ってくれた。
電車の中で二人は終始無言だった。
重苦しい沈黙を気にした風もなく、壬生は龍麻のマンションにそのまま上がり込んで来た。
台所に立とうとする龍麻を手で制して、龍麻をソファに座らせる。
代わりに自分が台所に入り、ケトルを探し当てて湯を沸かす。適当に食器棚を開けたり引き出したりして、マグや紅茶の缶を見つけ出した。
美味しい煎れ方じゃないと機嫌を損ねるだろうかと思いつつ、当然そんなやり方は知らない。壬生は諦めてストレーナーに茶葉を入れてそのままお湯を注いだ。
湯気が上がるマグを両手に、壬生は居間へ戻った。
龍麻はいつかのように一人がけのソファに縮こまって座っていた。
その目の前に、マグをコトリと置く。龍麻はそれには触れないまま、ただ立ち上る湯気をじっと見つめていた。
相当な時間が流れた。
壬生は時折紅茶を口に含み、龍麻の様子を見た。柔らかい林檎の香りが、壬生の口の中に広がる。
相変わらず全く動こうとしない龍麻に、壬生はついに痺れをきらした。
立ち上がると、龍麻の方に向かって歩み寄った。突然動いた壬生に驚いたのか、強張った龍麻の身体がびくりと震えた。怯えたような龍麻の仕草に、何故か壬生の胸は痛んだ。怖がらせないように、精一杯の気遣いでもって、そっと龍麻の頭に掌を置いた。
髪だけに触れるようにして置かれた手に、龍麻は最初表情を硬くしていたが、しばらくすると少し緊張を解いた。
壬生は少しだけ力を込めて、そっと頭を撫でた。
ふわふわとした感触だった。
色素が薄い髪の毛が壬生の節高い指に絡んだ。
そのまま梳くように指を踊らせる。毛並みの良い犬を撫でているような感触だった。
幾度もそうして撫でていれば、いつしか龍麻は目を伏せていた。撫でる掌を、一つから二つに増やす。
頭全体を包み込むように幾度も撫で、そのまま背中にまで掌を伸ばす。
龍麻は緊張した風もなく、壬生の掌を受け入れた。
少しずつ、龍麻のとの距離を縮める。
壬生の吐息が、龍麻の髪を揺らした。

そして壬生は、龍麻を腕の中に閉じ込めた。

腕に感じる温もりに、壬生は龍麻が無事である事を改めて確認し、安堵した。
小さく縮こまった龍麻の身体はひどく頼りなく思え、その身に受ける重圧を少しでも軽くしたいと切に願った。
抱く腕に力を込めると、龍麻との距離が一層縮まった。
「………………ありが、とう」
蚊の鳴くような声で、龍麻は漸く声を出した。
壬生はそれを聞くと背中を大きな掌で数度撫でた。
ことりと、龍麻の頭が壬生の肩に預けられた。
「…………………………………ごめん」
そして先ほどよりももっと小さな声で、龍麻は言った。
壬生は、今度は龍麻を抱く腕に軽く力を込めた。
ぎゅっとしてから身体を離し、龍麻の顔を見る。
俯いてしまった龍麻の表情は、壬生からは全く分からない。
また頭を撫でると、「謝る必要はないよ」と、壬生は囁いた。
「君に借りた本を、読ませてもらった」
龍麻の身体に緊張が走った。
「あれは、本当の事なんだね」
「………………………………」
随分と間を空けて、龍麻はこくんと小さく頷いた。
「信じるよ」
「え……?」
龍麻が軽く顔を上げた。
重なった視線の先には、涙に濡れて赤く染まった龍麻の目があった。
「あれは本当なんだと、僕は信じる。そして」
龍麻の長い前髪を指先で軽く払った。
「君の力が必要だ」
見上げてくる龍麻の表情の幼さに、壬生は少し苦笑を漏らす。
背後にある、既に湯気を失ったマグを手に取り、龍麻の手に握らせた。
なるべく優しげな声で、言う。
「今は、休もう」
揺れる琥珀色をじっと見つめた後、龍麻はこくりとそれを飲み干した。