何一つ




「悪いな」
「何がです? 通常業務の合間に余計な仕事をさせていること? 脱出計画の共犯にしたこと? それとも私をここに残していくこと?」
「……」
「本気にしないで下さいよびっくりするなぁ。貴方はただ帰るだけなんです。もっと胸を張って帰りなさい。興味はありますが連れて行ってなんて言いませんよ」
「いつもより口数が多い」
「……寂しいと思って欲しい?」
「欲しい」
「じゃあ寂しいです、シグルド」
 二人は笑ってじゃれるようにキスをした。
「先輩にはもう?」
「言った。お前のことまでは言ってないが」
「きっと気付いてるでしょう。貴方一人じゃ無理だもの」
「お前なぁ……」
 不貞腐れるシグルドにヒュウガはくすりと笑ってから、キーボードを叩く手を止めた。
「ねぇシグルド」
「ん?」
「帰るって、どんな気分ですか」
「え?」
「家に帰るって、どんな気分ですか」
 ヒュウガはソラリスで生まれ育ったが、故郷と呼べる場所がもう無いことをシグルドも知っている。斜め後ろから見えた顔に浮かぶ表情が危うくて、シグルドは彼の椅子を回して自分のほうに向けた。
「……大丈夫か?」
「ごめんなさい、変な事を聞いてますね」
「ヒュウガ、俺と一緒に来るか?」
 思ってもみない事を言われて、ヒュウガの眼が丸く開いた。そして次の瞬間笑い出した。
「ヒュウガ、おい!」
「あぁごめんなさい……予想の、範囲外で……くくっ」
「お前……」
 先ほどまでの危うさは既に無く、勘違いだったのかとシグルドは脱力する。それを見ながらヒュウガはしばらく震えていた。
「もーいい」
「あはは、すみません、シグルド。気持ちだけありがたく頂きます」
「ふん」
「ねぇ、シグルド。私は大丈夫ですよ」
 こちらに背を向けて作業を再開したシグルドに、ヒュウガは呟いた。
「……これからだって大丈夫です」
 その眼は笑っていなかった。



何も持っていないから無くさないとかそういう理屈。
あー、ヒュウガかわいいかわいい。