一日/一年




 長距離トラックの仕事を終えて家に戻ったハインリヒが、ドアを開けて玄関に飛び散っている真っ赤なスニーカーを見たとき、彼のとった行動はいつもの通り振り返ってドアを閉めて鍵をかけることだった。
 特に眉をひそめるだとか、ため息をつくだとか、普段と違う動作は行わなかった。
 リビングのテーブルの上に飲みかけの牛乳を入れたグラスが汗をかいているのを見たときも、まぁ残った牛乳をどうするかに少し悩んで勿体無いからと飲み干しシンクで洗った。
 家を出たのは今朝ではない。出たときここにグラスは置いていかなかった。当然だが牛乳も冷蔵庫の中だった。
 何故という疑問がハインリヒには浮かばない。そう頻繁にあることではないが何故だか慣れてしまっている自分に苦笑する。
 原因は家主のベッドの上で大の字になって眠っていた。
「おい、ジェット」
「……んあ」
 よだれがシーツにしみこむ前にすすり上げてジェット・リンク、赤毛のアメリカ人は目を覚ました。
「あー、おかえりハインリヒ」
「おかえり、じゃねぇよ。今度はなんだってんだ」
 時々ジェットは空を飛んでハインリヒのいるドイツに不法入国をし、この家に不法侵入を果たす。
「表は閉まってるけどさ、必ず裏通り側の窓が一つ開いてるんだよな」
 文句を言うハインリヒに言い返すのがお決まりになっている。それでも窓は閉まらない。
「あんた、今日誕生日だろ? だから飛んできたのさ」
 寝起きのイマイチしまりきらない顔でジェットはそう言ってへにゃりと笑った。
「……あぁ、そうだったな」
 一呼吸分沈黙して、ハインリヒは壁にかけてあるカレンダーを見た。確かに、今日はハインリヒの誕生日だった。
「忘れてたのか? 自分の誕生日を?」
「忘れちゃいないが……」
「まぁなぁ、自分で自分にケーキを買うなんてまね、あんたはしやしないとは思ってたけど」
「お前はするのか?」
「するわけ無いだろ。だから祝いに来たんだ。ケーキあるぞ」
「……」
 ジェットはようやく頭が回ってきたようで、ベッドから飛び降りるとリビングへ行き、冷蔵庫から白い箱を取り出した。
「それ、ケーキだったのか」
「そ。そこの角のケーキ屋で作ってもらった」
「は?」
「大変だったんだぞ。ケーキ下さいっていうのは最初紙に書いて行ったんだけど、あとは身振り手振りでさ。翻訳機って凄いんだな。これがなきゃ博士たちとろくに会話も出来ないってのが良くわかった」
 そういいながらジェットが箱から出したのは小さなピースのチョコレートケーキだった。
「甘さ控えめだからあんたも大丈夫だろ? やっぱりケーキを食わなきゃな」
 ジェットはそう言って、ケーキとは別に入っていたチョコレートのプレートをハインリヒの口元に近づけた。
「Alles Liebe zum Geburtstag!」
 プレートに書かれている文章を、ジェットがつっかえながら読み上げた。
「……Danke」
 たどたどしいドイツ語に、あるいは別の何かに、笑いながらハインリヒはそのチョコレートプレートに噛み付いた。



間に合ったー!
久しぶりに誰かの誕生日SSなんてものを書いたネ。