愛しいが故に、騒げ愚者共 -後編-




デスマスクが回復したのは夕闇が迫る頃だった。
「って〜…」
突然大技喰らったせいか(しかも生身に!)、記憶が曖昧だ。
確か、カミュが妙に怒ってて。なんて言ってたっけ。そうだ、下に降りて、気に入りの店がどうのって……昨日?先週の火曜と木曜だって?
「………っあーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
デスマスクは夕日に向かって叫んだ。
「あーーー!あーーー!あーーー!!!」
ある、思い当たりが、ある。でもそれは誤解だ、誤解なんだカミュ、確かにここは十二宮の四階だから五階じゃないなんてそんな悠長な事言ってる場合じゃなくって、本当にあーちくしょう。マジでマジでマジで〜〜??あーヤッチマッタよ、ったく、カミュには言っておくべきだった本当に。
デスマスクはがっくりとその場で膝をついた。
本当は、浮気なんかじゃない。全然、違う。

カミュ以上に、俺を満足させる事が出来る奴なんて、いるわけないじゃないか。

デスマスクは、宝瓶宮目指して走った。
宝瓶宮までは結構ある。
走りながら、色々な考えがデスマスクの頭を巡った。
ったく、誰から聞いたんだか。あいつってば大人ぶってる割に単純だからな、あっさり勘違いしたんだろうよ。
獅子宮を通り過ぎた。アイオリアは任務に出ていて、不在だ。
そりゃ誤解を生むかもしれないって俺もちったぁ考えてたけどよ、俺も悪いけどよ。でもよぉ、その前に俺の話聞いてくれてもいいんじゃねぇの?
処女宮を通り過ぎた。先ほどの恨みが、デスマスクの胸をよぎる。
俺ってそんなに信頼ないか?俺の気持ち、全然伝わってなくね?
無人の天秤宮を通り過ぎた。閑散としていて、どこか物悲しい。
そんないい加減な気持ちで付き合っている奴の面倒こんなにみるわけねーだろ。
天蠍宮を通る。ミロは不在のようだ。大方下にでも遊びに行ったのだろう。
こんなに可愛がってやってるのに、こんなにアッサリ勘違いしやがって。もう少し、信じようって気はねぇのかよ、あのバカ。
人馬宮を通り過ぎる。アイオロスはまだ教皇宮にいるようだ。
さんざん好きだの愛してるだの、言ってきたっていうのによ、それ、全部無駄だったって事か?
磨羯宮を通り過ぎる。元凶である男は、部屋に引きこもって本でも読んでいるようだ。
俺の事信頼してねぇで、あいつはただ俺を独占したいだけで、自分の言う事を都合良く聞いてくれる人間が欲しいだけじゃねぇのか?
愛おしさから出発した苛立というものは存外に大きなもので、デスマスクが宝瓶宮にたどり着いた頃には、その苛立は最高値に達していた。勝手なものである、恋人愛しで駆け出したというのに。
居住区への扉を見る。
そのドアノブに手をかけようとしたデスマスクは、しかしそれを弾くとくるりときびすを返した。背を向ける。
背を向けながら、気配を探る。覗き見しているような背徳感と、しかし何となく復讐してやったような達成感。

そして、カミュの、細く揺れる小宇宙。

本当は、デスマスクは知っている。カミュが本当に心の底から自分の事を愛している事を。しかしその一方で自己嫌悪するあまりにデスマスクの愛を失うのではないかと常に不安に揺れている事を。
デスマスクは知っている。
それはかつて幼少期の記憶が強く起因している事に。
デスマスクは知っている。
カミュが、実の親に疎んじられ捨てられた経緯を持っている事を。
デスマスクは、知っている。
それが故に愛するものはいつか自分の元を去ってゆくのだと、無意識の内にカミュが強く思い込んでいる事を。
本当は、知っているのだ。
「あー!くそっ!」
自分の底の浅さにデスマスクは悲鳴を上げた。頭をかきむしって。再び踵を返し、扉を押し開ける。部屋の中は暗く、静かだった。
カミュの気配は、部屋の奥から感じる。寝室の方からだ。デスマスクは足音を建てないまま、寝室へ向かった。
扉をそっと開ける。そこは相変わらずの真っ暗闇だった。
ベッドの上に、いた。
服を着たまま、シーツをぐしゃぐしゃにして、カミュが眠っていた。
夜目にも明るい白のシーツの上に、血のように真っ赤な髪が広がる。十二宮の戦いで倒れたときも、彼はこんな風だったのだろうか?
デスマスクのピジョン・ブラッドの瞳は、夜闇を引き裂いてカミュの顔を見つめた。
目元が、赤い。
頬も赤みが強く、まるで風邪でも引いたようだ。シーツを握りしめる様は、まるでだだをこねる子どものようだ。
デスマスクはカミュのすぐ近くに腰掛けると、紅色の髪をその神経質そうな指先でそっと漉いた。
とたん、カミュがさっと跳ね起き、デスマスクへ拳を放った。
しかしその力はまりにも弱々しく、デスマスクの胸元を軽く弾く程度のものだった。
デスマスクは避けるそぶりも見せず、その拳を受けた。
そしてそのまま、カミュの手首を掴む。
カミュはデスマスクの手を振り払おうとしたが、それはあまりにも弱々しい抵抗だった。軽くデスマスクに引かれただけで、あっさりと体を傾け、デスマスクの腕の中にすっぽりと埋まってしまう。
「カミュ」
デスマスクの呼びかけに、カミュは答えない、
ただじっとデスマスクの腕の中に納まっている。
「カミュ」
もう一度、呼びかける。
呼びかけるよ、お前が答えてくれるまで、何度でも。
「カミュ」
腕に、力が入る。
昔もこんなことあったけなぁ、とデスマスクは回想する。
あの時は幼かったから不必要に互いに傷付け合ったけど、でも今もそれはあまり変わっていない。
それはきっと、愛しいから。
愛しいからいつまでも、心は「愛しい」という場所から成長なんてしないのだ。
「カミュ」
愚かなら愚かでいい、傷付け合うなら傷付け合うので構わない、デスマスクは強く思う。その思いはカミュをかき抱く力に比例した。
腕の中で、カミュが小さく震えた。鍛えられているはずなのに、デスマスクにとってはいつまで経っても頼りないと感じるその肩が、小刻みに震え始める。
呼吸が、乱れる。
腕の中のカミュを覗く。目は閉じられたままだ。閉ざされたまま、ただ涙だけが頬を伝っている。
ぽろぽろ、ぽろぽろ、と。
頭を撫でる。そっと、ゆっくり、壊れ物を扱うかのように。
「で、す……っ!」
喉の奥からようやく声が、聞こえた。恋人の名前を、まるで悲鳴を叫ぶように絞り出すその様はあまりに痛々しく、デスマスクは顔を歪めた。
「カミュ…」
「き、きらわな……、で」
「カミュ」
「わた、しは…」
「カミュ、カミュ、違うんだ。全部誤解だ」
「です…」
ようやく、カミュが顔を上げた。泣きはらした目が痛々しい。
その瞼に軽くキスを落としながらデスマスクが優しく諭す。
「俺がお前に飽きたりするわけ、ないだろう?お前の面倒は、俺が最後まで見るって、言ったじゃねぇか」
「でも…」
「カミュ」
デスマスクはカミュの両頬を包み込んで囁いた。
「約束だからでも、他にいいのがいないからでもねぇ。俺は、お前が、好きなんだ」
クシャリ、とカミュの表情が歪む。
「浮気なんか、誰がするか。金貰ったって、女神の命令だって、ご免だ」
「で、す…」
カミュの頬を、涙が伝う。
デスマスクは律儀に、それを一雫ずつ、舐めとっていった。
その塩辛さは、やがて甘さに変わると、思っていた。




「で、なんで市街地に降りてっていたんだ?」
鼻をちーんとかみながら、カミュがデスマスクを上目遣いに睨んだ。この角度サイコーとか思いつつ、デスマスクは答えた。
「理由は話す。でも誰にも言うなよ?」
「?」
怪訝そうな顔をするカミュに、デスマスクは神妙な顔をしてみせた。
「いいか、言うなよ?」
カミュは素直にこくんと頷いた。こんな幼い仕草を見せるのも、デスマスクの前でだけだ。
「実はだな、その…相談に、のってたんだ」
「相談?」
「そう。実はだなぁ…」
デスマスクは言いよどんだ。実にいにくそうに、首を巡らす。
「カノンがだな、患ってるんだ」
「何を?」
よもや痛風ではあるまいな、カノンもそろそろ三十路、ありえない話ではないとカミュは内心ぼやく。当のカノンが聞いたら卒倒しそうな内容だ。
「そりゃお前、患ってるっていったら一つだろう」
「まさか…!」
カミュは真っ青になった。嫌な予感。
「まさか、癌……!」
「ちげーわ、ぼけ」
デスマスクの軽快な突っ込みが入る。シュラに良識がないように、カミュにも何かが抜けているようだ。いやむしろ何かが突出しすぎているのかも知れない。常日頃人々に見せる生真面目な好青年の顔と、デスマスクの前で見せる素顔とは、あまりにもかけ離れている。
「恋だ、恋。コイワズライってやつだよ」
「はぁ、なんだ。恋か…」
「そ。カノンがな」
「………。」
「………。」
「………。」
「………。」
「!?!?」
「おせぇよ」
飽きれた表情でデスマスクは美しい恋人の顔を見た。
「カ、カノン、が?恋?あの遊び人が?放蕩人間が?恋?本当は脳腫瘍じゃないのか?」
ひでぇよ、それ、とデスマスクが小さく呟く。実はデスマスクも最初はそう思ったのだが。
「まぁ、つまりそういうことだ。で、他に聞かれるとまずいから下に降りてたってわけだ」
「…なるほど」
確かに、これほどのニュース。あっという間に広まってしまうだろう。そうなっては成就するものも成就しなくなってしまう。十二宮はプライバシーがあるようでない。ましてやカノン、巨蟹宮で話していたとて、いつサガがふらっと愚弟を呼び戻しにやってくるかも解らない。
「そうか…カノンが恋か…」
「さ、これで俺の弁明はすんだわけだ。まだ不安ならカノンに聞いてみろや」
カミュは頷くと、「いい」と言った。
「信じるから、いい」
ひたむきな瞳。本当は、全く安心しているわけではないだろう。しかしそれでも信じると、カミュは言う。デスマスクを、信じると。
「カミュ…」
愛しい恋人を腕の中におさめると、デスマスクは軽く額にキスを落とした。
額を、撫でるように。そして鼻筋を辿って徐々に下へと。
行く先は未だ涙の余韻で時折震える、カミュの唇。
最初は軽く、触れるだけの。次は、少し長く。次は、もう少し長く、深く。やがてもっと、深く、深く。唾液が絡まり、溶け合うほどに。
「っ、ふ……」
苦しそうに漏れる声は興奮を誘うだけだった。
「カミュ」
低く掠れた声で囁けば、カミュも承知の通りと言わんばかりにベットにくたりと倒れ込む。首筋を舌でなぞると、くすぐったそうに身をよじった。
カミュの着るワイシャツのボタンをじれったい思いで外す。引きちぎっても構わないが、きっとカミュは怒るだろう。
現れた見慣れた肌は相変わらず多くの傷がついていて、しかしデスマスクはその傷だらけの肌を愛した。傷跡をなぞるように舌を這わせる。押し殺したカミュの吐息が寝室に響く。カミュが恥じる事を知って、デスマスクはわざと音を立てて乳首を吸った。
「や、ぁ…!ば、か」
こんな状況になっても憎まれ口をやめないカミュを懲らしめてやろうと、そのほんのりと赤くなった実に噛み付いた。
「っ!、あ」
しびれるような甘い痛みにカミュは思わず声を上げた。その開かれた唇を捉えて、デスマスクの舌が口内を犯す。唇でカミュを求めながら、デスマスクは自分のシャツを脱ぎ去った。
「ふ、……っうぅ」
胸板をすりあわせながらデスマスクは深く、深く、舌を絡めた。目を開けると、悩ましげに眉をしかめるカミュの顔が目に入った。
手を、下に這わせる。布越しに固くなっているカミュのセクスを感じる。自分のも既に固く、締め付ける邪魔な布から解放してくれと叫んでいる。
デスマスクは手早く全て脱ぎさると、カミュのスラックスに手をかけた。
「あ、ぁ、デス…マスク…」
カミュの声が期待に震える。
露になった太ももを撫でる。引き締まった筋肉が、震える。もっと奥を、とねだる。
「デス、デス…」
カミュの性急なねだりにデスマスクは口元が緩む。わざとすれすれの所を細い指先でなぞる。太ももには猛った自分のセクスを押しつけ、その温度を思い知らせる。
焦らすデスマスクに苛立ったのか、カミュはデスマスクの胸板をなぞった。軽く爪を立てて這い回る手は、デスマスクを刺激する。背中はわざと強く、腹部はわざと優しく。
「デ、ス……はや、く…」
カミュの甘いねだりに、デスマスクはその熱いセクスを握りしめる事で答えた。
「あぁ、あ、は……」
漏れる吐息に、酔いそうになる。強くしごきあげると、カミュは背中をのけぞらして喜びを表した。衝動に従順なカミュはデスマスクの足の間に手を伸ばした。自分のそれ以上に固く反り返っているデスマスクのものを繊細な動きで包み込む。
「カ、ミュ…」
お互い我慢は限界だった。早く繋がりたいとう衝動が、常よりも性急に事を運ばせた。
カミュに濡らさせた指先を、デスマスクはアナルにそっと差し込んだ。なんど行為を重ねても翌日には固く締まってしまうそこは、デスマスクの男にしては細い指さえも拒む。少しずつ押し開いて、ようやく一本、根元まで入れた。
「はぁ、ん…っうぅ…」
カミュは苦しそうに呼吸しながら、目でデスマスクを促した。デスマスクは指を折り曲げ、狭いそこを押し広げた。幾度か慎重に繰り返すうちに、徐々にアナルはほぐれ、湿りを帯びてきた。本数を少しずつ増やし、来るべき衝動に耐えうるように、広げる。
「あぁ、あ…、は、ん!も、ぉ……」
そこはひくひくと震え、デスマスクを誘った。デスマスクはその律動を感じて、思わず乾いた唇を舌で潤した。それはまるで獰猛な獣が獲物を前にする舌なめずりのようだった。
「挿れるぞ、カミュ」
掠れた声で宣言すると、デスマスクは自分のセクスをあてがった。
「ふ、あ、ぁあ!」
カミュの瀬が大きくのけぞる。固く閉じられた目が、その衝撃の重さを物語っていた。しかしもうデスマスクにもゆとりはなく、ただ奥へ奥へと突き進めていく。きつく絡み付くカミュの肉にデスマスクは猛獣のようなうなり声を挙げた。
「カミュ、カミュ」
「デ、ス……デスマスク」
ただ互いの名を呼び合う。
カミュの腕がデスマスクの背中にまわされる。デスマスクは体をかがめ、胸板同士を触れ合わせた。互いの鼓動が混じり合い溶けてはじける。律動は増々深く、早く、意識は混濁し、溶解し。
最後、どれほどの快楽があったかなど、忘れてしまうほどに。








ベットの上に寝転がりながら、二人はゆるく抱き合っていた。
「凍結させなくて良かっただろ?」
デスマスクは自分の下半身を指差しながら、肩をすくめて言った。
「ふ…確かにな」
カミュは小さく笑うと、睫毛を伏せた。嘆息と共に、声を吐き出す。
「…すまなかった」
「気にすんな。前もって言っとかなかった俺も悪かったんだ」
デスマスクは紫煙をくゆらせ言った。
「それにしても、お前に余計な事吹き込んだの、誰だ?」
「シュラ」
カミュの即答に、デスマスクはこめかみを抑えた。
アンノ考えなし!悪態をついても、それが無駄である事をデスマスクは重々承知している。お人好しすぎる幼なじみは、悪意があるわけではなく、悪気もあるわけではなく、ただただ気配りが足りないだけなのだ。これがアフロディーテやミロだったりしたら気が済むまでぶっ飛ばせるのだが。悪意のない加害者を攻められない、損な性分なのだ、デスマスクは。
「ったくアイツは…」
そうぼやいた後で、デスマスクは表情を崩した。
「ま、雨降って地固まったからいっか」
「?なんだ、そ……」

きゅるるる〜〜〜〜〜

静かな寝室に、可愛らしい虫の音が響いた。
「……。」
「……。」
「……。」
「ぎゃははは!!」
「わ、笑うな!」
カミュは顔を真っ赤にして叫んだ。が、説得力は限りなくゼロに近い。
「い、いいから食事を作れ!」
デスマスクの背中をカミュは軽く蹴飛ばす。デスマスクは相変わらず肩を震わせながらも、ベットから滑り出ると大仰にお辞儀してみせた。
「仰せの通りに、王子様」
「メニューはトマトと…」
「チーズのリゾットと、海老とアボガドのサラダ、だろう?」
デスマスクの笑顔付きの台詞に、カミュは満足そうに頷いた。


恋人達の甘い夜は、まだまだ続きそうである。