夜の底を走る -1-
全てが終わった後の空は信じられないくらいに晴れ渡っていて、暗い闇の底で最後の闘いを終え、突然現世に引き戻された面々は少々面食らいながらその空を見上げた。
半年以上の長きに渡る闘いの日々を思い出し、そしてこの闘いの間常に共にあった仲間達を見やり、それぞれがそれぞれの思いをかみしめたとき、能天気な声が響いた。
「いやー、終わった終わったぁ!一時はどうなるかと思ったけど意ッ外にどーにかなったなぁ。な、醍醐!」
「っん?むぅ…そ、そうだな、龍麻」
突然話を降られて一瞬呆然とするも、気を取り直して醍醐は答え、笑った。
今自分たちはとんでもない事を成し遂げたのに、あっけらかんとした龍麻の顔を見ると、それが嘘のように思えてくる。龍麻は気負う事なく立ち向かい、気負う事なく勝利した。その泰然自若ともいえる伸びやかさは、ここ数週間の間に驚く程露になった。出会った当初の、迷いや苦悩の中で必死に抵抗する痛ましさは、今の緋勇龍麻からはもう感じられない。それを思い、醍醐の笑みが深まる。
「ほんじゃ解散なーッ!変な寄り道せずに帰る事ー!感傷もほどほどになっ」
からからと笑い声を上げて龍麻が言った。
「ちなみに俺サマは緊張抜けて異様に眠くなってきたのですぐさま退散しますっ!みんな、また今度なーーー!!」
叫びながら、龍麻は踵を返すとそのまま逃走した。呆気にとられた面々は、やがて吹き出し辺りに笑い声が響いた。
「ったく、大した事やったってぇのに、先生らしいぜ全く」
「ふ。だからこそ勝てたのだろう…きっとな」
「それにしてももう少しゆっくりすればいいのに、ひーちゃん急ぎ過ぎだよッ」
「ちぇ、せっかく初ラーメンにでも行こうと思ってたのによ」
思い思いに言う仲間を尻目に、壬生は妙に引っかかるものを感じていた。自分もそろそろ、と告げると、龍麻の後を追った。
やっぱり、と、壬生は思った。
寛永寺を出て龍麻を追おうと気を探るが、相当範囲まで意識を広げても関知できない。
嫌な予感がした。
そのまま龍麻の家まで直行する。家には鍵がかかっており、龍麻が帰った気配はない。壬生は閉ざされた扉の前でしばし思案すると、やがてある場所を目指してゆっくりと歩き出した。
「ふん、お前が壬生紅葉かい?」
「はい」
桜ヶ丘病院に行くと、受付近くに巨体の女性が既に控えていた。
以前龍麻が柳生に切られた時に何度か見かけはしたが、言葉を交わすのはこれが初めてになる。
「ふん、なかなか良い男だねぇ…ひひっ」
赤く塗られた口がつり上がり笑う。京一だったらすぐさま踵を返し逃亡する所だが、壬生は一切動じず用件を簡潔に述べた。
「緋勇龍麻は、どこにいますか」
「ふふん」
壬生の率直な問いに、岩山は目を細めた。
「全く、いいんだか悪いんだかわかりゃせんよ…さて一体どうすればあの子の期待の添えるのやら」
ぶつぶつと口の中で岩山は何事かを呟くが、壬生の耳には届かない。用件を繰り返そうと壬生が口を開いた瞬間、「ついておいで」と岩山が背を向けた。
案内された先は診療室であった。見慣れない器具が所狭しと並んでいる。岩山はデスクの前に腰掛けると、診察用の椅子を指差し座るよう示した。
「さて。どうしようかね」
椅子に座り姿勢を正す壬生を見て、岩山は嘆息した。
「可能な限り、簡潔に御願いします」
「まぁ、そう焦りなさんな」
ひらひらと岩山は手を振った。
「まず、あんたの考えを聞こうか。龍麻の現状をどう予想している?」
意地悪く岩山の目が光る。
壬生は表情を崩さないまま、答えた。
「具体的には分かりませんが、龍麻は今酷く差し迫った状況にあると予想されます。それは周囲の人々を巻き込みかねない問題で、しかも龍麻自身にしか解決できない問題だと思います。
おそらく龍脈か黄龍の器かあるいはその双方に関わる問題でしょう。陰の器が黄龍化した点から考えると、龍麻の身にも異変が起こってもおかしくはない」
岩山の目が炯と光った。
「みたところ龍麻はここにはいないようですね。となると僕に予想できる居場所はあともう一カ所だけ」
張りつめた空気が震えた。
「島根。緋勇龍麻の、実家です」
ふっと岩山が力を抜いた。
緊迫した空気が緩み、壬生もふっと息を吐いた。
「ふん、ここまで読まれてるんだったらもう、仕方ないね。大したモンだよアンタは」
子どもを見る様な目で岩山が壬生を見た。しかしすぐに表情は引き締められる。
「大体は壬生、アンタの予想通りだ。だが龍麻自身はアンタが来る事を望んではいないだろう。それでも行くのかい?」
「行きます」
決意に満ちた目で、壬生は答えた。
じっと見つめ合った後、目を反らしたのは岩山だった。
机の中からメモ用紙を取り出し、さらさらと何かを書き付けた。手渡されて見てみれば、一つの住所とそこへの行き方が書かれていた。
「緋勇の家の住所だよ」
壬生はそれを丁寧に折り畳んでポケットにしまうと、立ち上がって一礼した。
飛行機の中で壬生は去り際に岩山に言われた事を思い出していた。
龍麻は数日前に桜ヶ丘を訪ね、岩山におおまかな事情を話したのだという。そしてその「闘い」には、自分だけで立ち向かうつもりだと言ったそうだ。馬鹿をいうんじゃない他の連中の気持ちはどうなるんだと叱咤した岩山に、龍麻は辛そうに答えた。自分にしか、できないことだから、と。
「でも…その、もしも闘いが終わってすぐに…ここを壬生紅葉って奴が訪ねてきたら、そいつには…」
「話していいのかい?」
「…いや!だめだ、やっぱだめ!誰にも言わないでおいて、たか子さんっ」
その時きっと、龍麻は泣きそうな顔をしていたのだろうなと壬生は思った。
ひどく胸が騒いだ。
島根に到着するまでの一時間半程度のフライトが、妙に長く感じられた。早く、早く。
おそらく、龍麻は本心では仲間を求めている。詳しい話は岩山にもわからないと言われ、詳細は現地で本人からと言われたが、実際壬生には大体の見当はついていた。その孤独な闘いの中でこそ、龍麻は仲間を求めるだろう。しかしそれが出来ないのは龍麻が本当に、共に闘ってきた仲間を大切に思っているからである。
一方で、壬生の名前を岩山に告げた事。それを思えば思う程、龍麻の苦悩の深さを思い知る。
早く、早く。
祈る思いで、壬生は島根に飛んだ。
バスを何本も乗り換え、最後にはタクシーを使ってようやく辿り着いた先は、段々畑の広がる山間の村だった。自分の故郷を「何もないドドドドド田舎」と龍麻は評していたが、あながち間違いではなかった。
そんな田舎に、緋勇の屋敷はあった。屋敷は人々が住む集落から離れたところにあり、一種異様な空気を纏っていた。大仰な門には鍵は掛けられておらず、守衛とおぼしき人もいなかったので、壬生は仕方なくそのまま入らせてもらう事にした。
呼吸を整えて気配を探る。
慣れた気配を察知し、方角を定め歩いてゆくと、敷地の一番奥にある一番大きな建物に辿り着いた。大きな引き戸を引き、「ごめんください」と声を掛けた。
「お引き取りください」
中年を超えた、色のない女性が奥から現れた。
「お引き取りください」
無表情に繰り返される。どうやって返そうかと壬生が思案していると、屋敷の奥の方で龍麻の気が大きく乱れるのを感じた。
「!?失礼します!」
女性が壬生を止めようと立ち塞がるが、それをひらりと躱すと壬生は一輝に屋敷の奥へと駆けていった。
「龍麻!」
「み……?」
襖を開け放った先に、龍麻がいた。
黄金色の鱗に覆われて。