片思いラブ -10-




「も……信じ、ら…ねー……よ、ばか」
上がる息を抑えながら、葉佩が途切れ途切れに言った。
否定的にも聞こえる言葉だったが、取手の背中にしっかりと回された腕が、葉佩の本心を語っていた。
「うん、僕も」
……さんざ弄くっておいてそれかい!と葉佩は内心毒づいたが、口に出したらまた何かされるのではないかと思って、控えた。
「どうしたの?何かある?」
取手の灰色掛かった目に覗き込まれて、葉佩の心臓が跳ね上がる。
「ないないないないないないなーーーーーい!」
「……あやしいな…」
「あやしくないっ!俺様潔白、素直で良い子!」
「うん、素直で良い子は正しいな」
にっこりと微笑む目の奥に、先程までの勢いはなくとも、野獣の猛りを感じ取り、葉佩は一瞬硬直した。
正直な感想、取手がこんなに積極的だとは思わなかった。
だが考えてみれば、音楽やピアノ、姉に関する事については非常な行動力を持っていたのだし、執着の対象については人格が変わるのだろう。
つまりなんというかまぁ、いつもの引っ込み思案は内気とかなんとかじゃなくて、関心がない、と。
ん?それってタチ悪くね?という意識が葉佩の頭を掠めそうになった瞬間、実にタイミングよく取手は爆弾を投下した。

「ところで初めての相手って誰なの?」

間。

「ぴゅるきょわーーーーーーーーーーー!!」
「……何語?」
的確ではあるが明らかに場違いな突っ込みを入れる取手。
きょとんと首を傾げる仕草は実に可愛らしく、反則だぜチクショウ!と葉佩は思う。
「ははははははは初めてってそりゃーかっちゃん…」
「嘘は嫌いだよ」
にこり。
あ、やべ殺される。
ハンターの予感が葉佩に言葉を呑み込ませた。逡巡の後、葉佩は渋々口を開いた。
「………ハンターの先輩。半年くらい前。本格的にミッション入る前の、訓練の時…」
ぼそぼそと、小さな声で早口で吐き出す。
「男?」
「………む」
取手の顔に暗い翳が差す。
「好き……だったの?」
「んにゃ」
葉佩首を振って即座に否定した。
が、それでも取手の顔色は晴れない。
そりゃそーだ、今のじゃまるできっかけさえあれば誰とでも寝るみたいだよな、と葉佩は内心で唸る。
ぱくぱくと口を開閉して、むぅんと声を上げる。言葉を探し、組み立てる。
「ちょうど、酒呑んでたんだ。そんでなんとなく恋愛系の話になって…まぁ男同士だし当然のごとく猥談に流れていって、気がついたら押し倒されてた、みたいな」
「それでもいい、って思ったの?」
「いいとか悪いとかじゃなくて、だって研修官だもん。下手な事したら昇進に関わるし、それに俺……」
ここまで言った後、葉佩はまた言葉を切った。
しかめ面をしながら、言いにくそうに口元を歪める。
そんな葉佩を見つめながら、取手は辛抱強く葉佩の言葉を待った。
沈黙が過ぎる。
長い静寂だった。葉佩はちらりと取手を見上げた。
ひょっとしたら、諦めて許してくれるのではないかという期待を込めて。
しかしそこにあったのは思いのほか真摯な目で、取手が本心から葉佩の内奥を知りたいと、それも好奇心ではなく愛情故の知りたいのだということが、分かった。
葉佩は覚悟を決めて、口を開いた。取手の目を、見返しながら言う事は出来なかったけれども。
「俺……多分、女相手じゃ、勃たない…俺」
はぁっと息を吐き出す。
「俺、昔……三年くらい前、ようやく…本格的な訓練始めた頃に……その、なんつーか」
言い淀む。なんと言えばいいのだろうか。
迷った挙げ句、一番分かりやすい言葉を、葉佩は選んだ。
「女の人に、レイプされたんだ」
取手の眉間に、深い皺が刻まれた。
「やっぱハンターの人で。すごく面倒見が良くて。信頼、してたんだ。そんで……ある日の夜に、いきなり」
「……」
取手は無言のまま、葉佩の頬や髪を撫でた。
その優しさが痛くて、葉佩は両手で顔を覆った。
「すっげ…怖くて……勿論、そーゆーのに興味なかった訳じゃないけど……なんというか、圧倒的に受け身で、支配されるような…自分が、すごく弱くて小さいもののように感じて……」
「…はっちゃん」
囁きながら、取手はそっと葉佩の手に口づけた。
くすぐったい感触に、葉佩は少し安心する。
「それ以来、女の人が怖くて…」
「うん」
「なんだかんだで、その、男の人の方はかなり丁寧に扱ってくれて、それが結構嬉しくて」
「うん」
「別に好き、とかじゃなかったけど、セックスってゆーか、なんかこう、カウンセリングみたいなノリだったし」
「うん」
「それにきっと、自分は…一生女の人を好きになったりはしないだろうなーって」
「うん」
取手は何回も、葉佩の手に口づけた。
顔を覆うては弱々しく、取手が頬擦りした拍子に、外れた。
「でも、いいんだ」
現れた顔が妙に明るくて、取手は少し戸惑う。てっきり、泣いているものだと思っていたのだ。
「取手に、会えたから」
「はっちゃん……」
「ホモでもゲイでも女性恐怖症でも、いい。取手がいれば、いい」
幼子のような瞳で、葉佩は取手を見上げた。
そんな葉佩を、取手は心から愛しいと思う。
幸せになってもいいのだろうかと、取手は思う。人並みじゃない自分達だが、どうしようもない罪を背負った自分だが。
こうして微笑み合える瞬間があるのだから、きっと。
幸せになってもいいのだろうなと、取手は思った。
その想いを再びキスにして、甘い夜は更けてゆくのだった。

こうして、葉佩九龍の片思いは終わったのだった。





「かーっちゃーーーんっ!」
元気な声と共にドアが勢い良く開いた。
「おかえり、はっちゃん」
「たっだいまー!」
ばたばたと騒がしい音を立てて入って来た葉佩は、埃だらけの荷物を玄関に放り投げた。
「ミッションせーこー!さっすが俺様?がんがん稼いじゃうよーっと」
言いながら、迎えに出て来た取手にしがみつく。
ぼさぼさの頭を撫でながら、取手はうっとりとした表情を見せた。
半死半生になりながらも古代の神を打ち倒し、学園を解放に導いた葉佩は、その後あっさりと学園から姿を消した。
取手はその後のスケジュールなどを共有していたが、一晩でもぬけの殻になってしまった部屋を見ると、もう二度と会えないのではないかという不安に駆られた。
葉佩に告白されて初めて自分の愛情に気付いた取手にとっては、これが初めての「ひとり」の時間であった。
はっちゃんはこんな風に淋しい夜を過ごしたのかなと、取手は夜空を見上げて世界のどこかを飛び回っている恋人の事を思ったりもしたものだ。
どこかで怪我をしてはいないか、病気になったり、食事で苦労をしたりしていないか。はたまた悪い虫が付いてはいないか。
そんな風に悶々と過ごしていた取手の前に葉佩が姿を見せたのは、卒業式も済んで取手が独り住まいを始めた辺りだった。
住所などは危険だから共有しないと葉佩に言われていた取手は、一体どうやって自分を見つけ出すのだろうと思っていた。
そうしたらば、なんと葉佩は取手の通う大学に直接現れたのだ。
「いやー、運が良ければ一週間もウロチョロしてたら会えるかなーって思ってたけど。いちんち目で会えたって事はコリャやっぱ運命ってやつかねー?」
呆気にとられて楽譜を道端にバサバサと落としてしまった取手を見て、声を立てて笑いながら葉佩がいった。
もっとも、嬉しさのあまりに取手が葉佩に抱きついて、今度は葉佩が仰天したのだったが。
「今度はどれくらいいれるの?」
「今度はねー、一週間は平気。そんでもって小さな調査が入って、それが済んだら半月くらいはフリーだね」
取手にしがみつく葉佩からは、太陽と埃の臭いがした。
抱きしめて首筋に顔を埋めると、うっすらと汗の香り。取手は思わず首筋に唇を押し当てた。
「っと、っと、っとーーッ」
驚いた葉佩が取手の胸元を押すが、取手は一層腕に力を込めた。
今ここに、君がいる事が僕はすごく、嬉しいよと、言葉にしないで伝えたい。この気持ちはきっと、言葉以上のものだから。
後で、ピアノを弾こう。葉佩の為に。愛しいこの人の無事の為に。
「……おかえり」
「……ただいま!」
はにかんだように、葉佩が笑う。
幸せだなぁと、葉佩は思う。
人生いい事ばかりじゃないけれど、この人がいるんだったら気にしない。
取手がいるから、俺はきっとこれからも楽しく元気にやっていける、葉佩はそう思いながら、取手のぬくもりのなかでそっと目を閉じたのだった。