夜の海を渡る




「壬生君、壬生君、壬生君、壬生君、壬生君、壬生君、壬生君、壬生君、壬生君」
「五月蝿いよ」
べし。
掌を返して後部座席で絶叫する龍麻の頭をはたく。
常人ならばもんどりうって転げるところを、龍麻は平然と受けた。
ちなみに二人が乗るのはドゥカティのモンスターS4。走っているのは夜の新宿、国道20号線。転げたらとりあえず、死ぬ。
「だって久しぶりに会えて嬉しいんだもん」
もん、って…と壬生は頭を抱えた。20代に突入してそれなりに経つというのに何を血迷うかこの男は。壬生の前に立つといきなり幼児に戻る緋勇龍麻23歳、もうすぐ誕生日。
というかずっと連絡してこなかったのは君じゃないか知らないよ僕は久しぶりとか言われても君がさっさと連絡していればもっと早くに会えたって言うのに君は自分で言う程僕には会いたがってないんだよあーあーそうだよどうせ僕なんかどうでもいいだろ中国でもエジプトでもコートジボワールでもグアテマラでも行っていれば良いじゃないか好きにしなよ!
一気に悪態を脳内で吐く。
「みぃ〜ぶぅ〜くーん♪」
すりすりと背中に頬を寄せる龍麻は幸せそうだ。自分の腰に回される腕の力の強さに、壬生はちょっとだけ、ちょーーーーっとだけ機嫌を直した。
「会いたかったもん、俺。でも絶対なんか言われるし、スッキリしてから会おうと思ってたんだよ、ごめん」
体をぴったり密着させて、龍麻が言う。触れ合った所から流れ込んでくる暖かさは慣れ親しんだもので、壬生の機嫌はもう少し、直った。
「ン?」
「どうかした」
突然龍麻が壬生から体を離す。
「ん?んんんん?新宿に異変アリ。不穏な陰気の流れを察知」
くるりと首を回して龍麻がぼそぼそと言った。
「アラハバッキーの気にあてられたかなー。あーこりゃイッパンジンが巻き込まれてるかもーって俺様放っとくわけにはいかないねぇ」
「何。何ぶつくさ言ってるんだい」
エンジンの音で龍麻の独り言はよく聞こえない。
「悪ィ、壬生!ちょっと先行ってて。中央公園寄ってくる!」
「はぁ?」
思いっきり不快そうな声を上げて振り返った壬生の目に映ったのは、今後怪談で語り継がれるだろう光景だった。
「せめて歩道を走れーーーーーーー!!!」
流れる車の上をぴょいぴょい走っていく龍麻を見て、壬生の不機嫌は今年の最高潮を向かえた。



壬生は今も相変わらず葛飾に住んでいる。頻繁に利用する成田空港へのアクセスが良いため、なんだかんだで離れられない。
ただ高校時代に住んでいたワンルームからは引っ越し、この年齢には不釣り合いなお高いマンションに住んでいる。ちなみに現在は通院生活を送る母親は、同じマンションの別の階に住んでいる。何故わざわざ別かというと、それは龍麻と壬生の仲が既に公認になっているからだ。とはいうものの、龍麻は一年の大半は海外を飛び回っているので、壬生は三回に一回は母親の住む家の方に帰っている。
だが今日は龍麻が帰ってくるという事で、数日前から気合いを入れてテッテー的に隅から隅まで掃除をし、クリスマスの料理も和洋中なんでもござれのthe龍麻の好きな料理セレクション決定版が用意されている。勿論ケーキも抜かりない。
にもかかわらず。
「何だってあの唐変木は…ッ!!」
睨みつけるだけで人を殺せそうな凶悪顔で壬生は腹の底から悪態をついた。
帰ってきたらとりあえずブッ飛ばすと拳に力を込める。足にではない辺りが、壬生が結局のところ龍麻には甘い証拠であり、結局のところ龍麻に惚れきっている証拠でもある。
一方そのころ件の唐変木は、新宿は中央公園でひっそりと起こっていた陰気の乱れを解消し、のんびりと京成本線青砥方面最終電車に揺られていた。
(壬生君、料理用意してくれてるかなー。マミーズもうまかったけどやっぱり日本にいるんだったら壬生君の料理だよなー♪)
帰ったらまず自分が料理される事も知らない。

ピンポーン
とっくに日付変更線を超えた頃、能天気にチャイムが鳴った。
とっくに部屋着に着替えてあまつさえシャワーさえ浴びた壬生は右手に渾身の力を溜め込みながら玄関に向かった。
(鍵を持っているのにわざわざ僕に開けさせようっていう腹が気に喰わないんだよ!)
浮き立つ青筋は阿門もびっくりな勢いである。それでも律儀に鍵を開けにいく辺りがオカン体質な、バカップル片割れ壬生紅葉。
ガチャッ
星が砕ける様を見るが良い、と壬生が拳を放とうとした瞬間だ。
バサッ
何か良い香りがするものが壬生めがけて倒れ込んで来た。目の前が一瞬暗くなって、何事かと目を回す。
「メリークリスマス!」
弾んだ声が聞こえる。
幾分か混乱が収まった頭が認識したのは、色とりどりの花の向こうで満面の笑みを浮かべる龍麻の顔だった。見れば抱える程の巨大な花束を壬生に向かって突き付けている。先ほど壬生の顔を直撃したのはこれだったようだ。
「…」
呆気にとられる壬生をぐいと押して、龍麻が玄関に入り込む。花束が二人の間でくしゃりと歪んだ。
「考えてみたらさー、俺クリスマスプレゼントとか用意してなかったんだよ。仕方ないから駅の花屋という花屋巡ってかき集めたらこんなにデカくなっちまった」
照れくさそうに笑って、ぐいぐいと花束を壬生に押し付ける。
「こんなに、もらったって」
「本当のプレゼントは明日一緒に買いにいくからさ、これで許して」
花越しに、龍麻が壬生の鼻の先にちゅっとキスをした。久しぶりに感じる柔らかさに、何故だか壬生は急激に泣きたくなってきた。
それは嬉しいと悔しいとコンチクショーがちょうどミックスされた、なんとも複雑な気分だった。
「ごめんよ、壬生」
花束を邪魔そうに片手に抱えると、龍麻は余った手を壬生の背中に回した。
「花が」
はらはらと、コーラルピンクの花びらが足下に落ちる。
「ごめんね」
「何が」
「いっつも、目先の事に囚われて」
「うん」
「そんで壬生君にヤな思いさせて」
「うん」
「それなのにこんなに壬生君の事が好きで」
「うん」
「絶対に離す気なんかなくて」
「うん」
「ごめんね」
完全に俯いて龍麻よりも頭一個分小さくなってしまった壬生を、龍麻は不器用に片腕で抱きしめると頬を壬生の髪に擦り寄せた。
「でも好きなんだ」
花の匂いが息苦しいと、壬生は思った。