靴下の秘密 -上-




「最近おかしいんだわ」
「お前がおかしいのは最近からじゃねーぞ」
「いや、俺ジョーシキ人だし」
嘘つけ!と皆守は九龍を無言で蹴飛ばした。
「痛い、痛い。甲太郎ってば乱暴者なんだからー」
全然痛そうでない顔で九龍が身を捩った。
だがこの変態で助平でネジが吹っ飛んでる級友は、実際のところ「常識人」を装う振りも規格外に長けていて、生来の整った顔立ちも相俟って黙ってニコニコしてれば人畜無害にしか見えないのも、また事実であった。
その本性を知る者は、皆守も含めても、ごくわずかでしかない。
一皮剥けばただの変態なのに。
「いつか絶対俺はお前を貶める…!!」
「ははは〜、頑張ってぇ〜ん♪」
悔しい程に風評を気にしない九龍は、けらけら笑って皆守の肩を叩いた。
「でさ、おっかしいのよ、聞いてよ甲太郎〜」
「断固拒否」
「最近鎌治が全然セックスしかけて来ないんだよ〜」
「断固拒ー否!!」
若干…というか結構…というか相当、本気の入った蹴りを繰り出す皆守は、ぶっちゃけさっさと正体ばれて正々堂々この不貞の輩をぶちのめしたいと思っている。
一方九龍は皆守の放つ気合いの入った、それでも「只の」高校生の蹴りをひらりと避けた。
「やーん、処女みたいな反応超きゃわゆい〜♪」
「気色悪い事を言うな…!!」
頭をかきむしりながら皆守が唸った。
もういい加減誰かこいつを殺してくれ。
「そんでさ〜処女の皆守君」
「黙れ死ね失せろ消えろ」
「そんな一度に求められても俺応えられないよ、ごめんね甲太郎。一晩に三人くらいまでだったら満足……」
「もういい…わかったから…用件を言え……」
一々突っ込んでたらキリがない事を毎度思い知らされつつ、毎度律義にぐってりするまで突っ込み続ける皆守は、なんだかんだで几帳面なのだろう。
「そうそう、鎌治がさー、一時すっごい求めてきたのに最近全然セックスしかけて来ないんだよ〜。おかしくね?」
「飽きたんじゃねーの?」
いい加減疲れ果てた皆守は適当に返した。
が、次の瞬間ぽかんとした九龍の顔を見て、今度は自分が呆気にとられた。
「え……飽き、た?」
きょとんとした顔が、いつもの様にすぐさまふざけた笑顔に変わる事を皆守は期待したが、九龍の表情はそのまま無へとシフトした。
もちろん本気で言ってなかった皆守は、やや慌てる。九龍が飽きるならともかく、気弱と純情を絵に描いたような取手が身体の関係を持つだけ持ったら飽きてポイなど考えられないと、皆守は、思っている。
「飽きた……」
「いやまぁ、そのなんだ、えーと………九ちゃん?」
皆守がおずおずと呼び掛けると、九龍はぼんやりとした顔のまま皆守を見た。
「帰る」
「は?」
「潜ってくる」
「はぁあ?」
呆ける皆守を放置して、九龍はふらふらっと屋上を後にした。
「………なんなんだぁ?」
後には、呆然とアロマを手にする皆守だけが残った。



何故だろう、と九龍は考えていた。
何故だろう、どうして自分は、ショックなんぞを受けているのだろう。
いままで幾人と寝たかも覚えていない。それを悪い事だと思った事は一度もないし、気がついたら疎遠になっていた事を気にかけた事もなかった。
だというのに、何故皆守の一言にこんなにも衝撃を受けているのだろうか。
もやもやとした気持ちをどうにかするために遺跡に潜ってとりあえず化人をぶちのめしてみたが、どうにもスッキリしない。
欲求不満とも違ったストレスが、九龍の上にのしかかる。今まで、感じた事のない類いのストレスだった。
「うむ」
一通り遺跡を巡り終えた九龍は決断を下した。
見る前に跳べ。
何事もぶっつけ本番、猪突猛進のO型人間は、とにもかくにも話題の人物の部屋に押し掛けてみたのであった。
「……いらっしゃい」
突然の訪問を、家主は嫌がるそぶりも見せないで受け入れた。
「おぅ、邪魔するぜ」
そういえば、自分から尋ねるのは初めてだなーと、九龍は取手の部屋を眺めた。
狭い空間にはあまり物は置かれていない。段ボールに溢れている九龍の部屋とは大違いである。ただ机の上にはシンセサイザーとパソコンが置かれており、それだけが妙に浮き立って見えた。
備え付けの本棚を埋めているのはスコアだろう。薄い大判の冊子がずらりと並んでいた。本当に音楽が好きなんだなと、九龍は感心した。
「……お茶でも飲むかい?」
「いや、いい。それよりも話だ」
九龍はせっかちである。
せっかちだからこそ、龍麻が男だと分かった翌々日に既に日本を飛び出したりしたのである。
付記しておくが、九龍の初恋の相手は緋勇龍であった。長らく女だと信じて疑っていなかったのだが、ふとした拍子に祖母から「あのお人は男やで」と言われ、それがきっかけでグレて世界へ飛び出したのだ。翌々日に。
ここまでせっかちだと寧ろ清々しい。
「で、お前どうして最近俺とセックスしたがらないわけ?」
……ここまでせっかちだと寧ろ清々しい。
「え?」
「いやだからさ、一時期は腰が立たなくなるまで毎晩三四回はセックスしてたじゃん?それがいきなりなくなったから、おっかしいなーって思ってる訳よ、俺は」
ベットの端に腰掛けながら、九龍は真正面から取手に質問した。
お茶でも…と立ち上がった姿勢のまま、取手は首を傾げた。
「おかしいかな?」
「おかしいさ」
「なんで?」
取手は身をかがませて、九龍を覗き込んだ。
思いのほか近い顔に、九龍は少し困惑する。困惑してから、どうして自分はこんな気持ちになっているのだろうと、不思議に思う。
「なんで……なんで、ねぇ…」
言われてみれば、「おかしさ」を口頭で説明する事は出来ない。
「僕が君を抱かない事は、そんなにおかしいことかな」
取手の低い声が、九龍の耳を撫でる。妙な心地よさに、九龍は目を細めた。
なんでだろうと、取手の気配に落ち着きを見いだしながら、再び自問する。
そう、いままではおかしいなど思いもしなかったのだ。セックスなど。したければするものだから。したくなければしないし、やりたきゃやる。
食欲や物欲と同じで、性欲も時期によってアップダウンがあるのだから、今は取手のダウン期だと思えばおかしくともなんともない筈だ。
今までだって、幾度か目眩がする程のセックスをして、数日したら突然関係が途絶えたことはあった。
それだと思えばおかしくはない。
なのに、九龍の内心は納得してくれない。
考え込んでしまった九龍を見て、取手が少し笑った。

「僕に、抱かれたい?」

さぁっと、目の前が赤くなった気がした。
まさか取手の口からこんな台詞を聞くとは思っていなかったこいつなんか突然態度変わってないかいやそんなことはどうでもよくてだな今俺が考えなくちゃいけないのはどうしてこんなにもコイツの一言に混乱してるんだよ馬鹿あーもーそうじゃなくてだな。
抱かれたい?
俺が?
誰に?
取手に?取手鎌治に?
抱 か れ た い だ っ て ?
「まさか、そんな」
「じゃあ、問題はないよね」 思わず口の端から漏れた言葉を取手は敏感に聞き取り、すっと九龍から離れた。
突然、九龍は取り残されたような気分になる。
おいおい、なんだこりゃ。
九龍は自分で自分に呆れた。
なんでこんなへんてこな気持ちにならなきゃいけないんだ。
それに第一、抱かれたいだって?そんな事はあり得ない。掘った事はあっても掘られた事はなかったし、第一自分はひーひー言うより言わせる方が性に合っている筈なのだ。
取手相手だって、掘るつもりで近づいたのだし、自分が受け身に回る事になったのはまぁそのときの雰囲気と言うか流れの問題であって……。
あれ?でも……。
「なら、用件は済んだよね?」
混乱する九龍に、取手は非情にも退去命令を出した。
机の上に広がるスコアとCDとヘッドフォンが、九龍に出ていけと叫ぶ。
「ん……あ………あ、ぁ」
ぼんやりと、九龍は頷いた。用件は、済んだのだろうか?
済んだのか?さっきなんて考えてたんだっけ、何か思いついたんだけど……。
九龍は考え込みながら扉へと向かった。
おぼつかない足取りで歩く九龍の後ろを、取手がのっそりと見送りについて来る。
狭い部屋だ。出口にはあっという間に辿り着く。
「じゃ…ま、た………」
心ここにあらずと言った風に、九龍がドアに手をかけた。
何を思いついたのだっけ。何か。
がちゃりと、ドアが鳴った。
隙間が開いて、廊下の鈍い黄色い明かりが細く切り取られて見える。
何を。
キィッ……



あれ?でも……俺、今はもう取手を抱きたいとは余り思ってないぞ………?



ギッ……バタンッ
九龍は開きかけていた扉を閉じた。
くるりと取手の方を振り向く。
「終わってない」
取手の瞳を、真っ直ぐに貫く。
「用件はまだ、終わってないぞ、取手鎌治」