重なる -1-




最初は、自分が原因だと思った。
都市の裏側に棲む壬生にとって「それ」らはさして珍しいものではなく、更に自分の立場を考えれば「それ」らが自分に惹き付けられて寄って来たとしてもおかしくはない。
血は異形を惹き付ける。
だからその日も、自らが纏う血の薫りと瘴気とが招いたのだと思い込んでいた。

地下鉄丸ノ内線西新宿駅構内男子便所で任務は遂行された。痕跡を一切残さず、都議会議員の一人の命が失われた。明日の朝刊には彼の突然の死を告げる記事が載るだろうが、しかしそれは人々の目を引くことなく忘れ去られるだろう。
いつも通り、と言ってもこれが暗殺者となってからまだ五件目の仕事だが、完璧に仕事をこなした壬生はそのまま新宿駅に向かって歩き出した。完了の一報は既に鳴瀧の元に届いている。あとは家に戻り気を休め、明日の朝再び正規の報告をすればいい。
その日は11月らしい、身体の芯までは冷やさない心地よい寒さの日だった。秋の冷え込みが嫌いではない壬生は、血生臭い事をした後だというのに妙に心が軽くなった。
だからだろう、少し遠回りをして中央公園を通っていこうなどと気紛れを起こしたのは。
新宿中央公園の桜の葉は赤みを帯びて色づき、秋の深まりを示していた。もっとも、その色も灯された街灯の光によって微かに浮かび上がるだけで、多くは夜の闇に隠され黒く沈んでいたが。
深呼吸すると、新宿らしくない、土と水の薫りがした。

そしてそれと共に、ごく微かに、異様な臭いも。

妙に甘ったるい薫りに壬生はすぐに気が付いた。そしてそれが花の薫りなど心穏やかな物ではないことにも、すぐに。
壬生の顔に緊張が走り、気を張りつめて周辺の気配を探った。「それ」の居所はすぐに知れた。気配を殺して現場に駆けつけると、異形の物に囲まれて一人の少年が立っていた。
助けなくてはと壬生の身体が動くよりも早く、その少年は動いていた。
まるで舞うかのように軽やかな仕草で少年は目の前の魔物を拳で弾いた。力の篭っていない軽やかな一撃にも関わらず、異形は勢いよく吹き飛び、何匹かを巻き添えにしてもんどりうって消滅した。
その威力と少年の落ち着きに、壬生の緊張感が高まる。異形を見ても慌てた様子がないところを見ると、おそらく自分のように幾度か遭遇しているのだろう。だとすればこの少年は何者なのか。壬生の研ぎすまされた神経が少年の動きに集中する。
しかし少年の拳のあまりの迷いのなさに、いつの間にか壬生は疑いを忘れて魅入っていた。少年は流水のように異形の隙間を縫い、拳を放っていった。魔物達の攻撃をかわす様は優雅と表現しても良いくらいで、壬生は自分の頭に浮かんでいた様々な疑いを捨てた。素性は知れないが、邪悪な人間ではなさそうだ。
そう判断したからこそ、無防備な少年の背中に向けて異形が放った気の塊に、咄嗟に反応したのだ。
考えるよりも先に壬生は動いていた、異形の隙間を縫って少年の背中の前に立ち、放たれた気を全力で弾き返していた。昇龍脚によって切り裂かれた気が、勢いを増して異形の群れに襲いかかる。壬生の前方向にいた数体が悲鳴を上げて、消えた。
少年が一瞬驚いてこちらを見る気配がしたが、害意がない事が伝わったのかすぐさま正面に向き直って闘いを再開した。
近くで闘ってみて理解したが、少年は実際拳に力は込めておらず、代わりに大量の気を乗せていた。それは確かに気の攻撃を不得手とする魔物達には物理的攻撃よりも有効かもしれないが、体力を過剰に消費する。長期戦は不利だと判断した壬生は鬼倒しを連発して敵を薙ぎ払っていった。回した脚に感じる感触はブヨブヨとしていて何とも気持ちが悪かったが、今はそんな事を考えている余裕はなかった。
周囲を完全に囲んで余りある程のそれらを、少年は自分よりも突然現れた見知らぬ男に始末させた方が得策だとでも思ったのか、はじき飛ばして壬生の目の前に固めた。しかしその御陰で壬生は動き回らずに済み、気がついたら周辺を埋め尽くす程にいた異形達はすっかり消えていた。
肩で息をしながら壬生が振り返ると、その瞬間、少年は膝を折って崩れた。

抱え上げた身体が想像よりも軽く、壬生は驚く。
歳は同じくらいだろうか。壬生よりも若干背が低く、体つきはほっそりしている。一瞬ボーイッシュな少女かとも思ったが、腕に当たる骨と筋肉の堅さからやはり男だと思い直した。
近くのベンチに少年を横たえる。手首を取って脈を測ったが異常はなく、ただ気を使い果たしただけのようだった。数刻もすれば回復するだろうと踏んで、壬生はそこを立ち去る事にした。立ち上がろうとした瞬間、少年の身体がブルリと震えて眉間に皺が寄った。小さく身体を丸めたところを見ると、寒いのだろうか。
少年の目がうっすらと開かれた。
「だ……ぇ、……だ…」
誰だ、と聞きたかったのだろうが、声が掠れて言葉になっていなかった。
壬生が答えないで見下ろしていると、少年は苦しそうに目を瞑ってふぅっと鋭く息を吐き出した。
「……、け」
低い声が、何事かを言う。
聞き取れない壬生が耳を澄ましていると、少年は吐き出すように言葉を紡いだ。
「行、け……かか、わ、……な…」
それから力つきたように少年はぐったりとすると、そのまま眠りに入ってしまった。
ベンチの上で縮こまる身体を壬生は暫く見下ろしていたが、おもむろに自分の制服に手をかけた。
校章などを外して生徒手帳を取り出すと、壬生はそれを少年の上にかぶせた。深く寝入りはしないだろうがしかし、寒空に晒される身体が妙に気にかかった。
学ランを脱いだ瞬間に秋の夜風が壬生の肌に染み入った。寒さに思わず息を吐いたが、壬生は学ランをそのままに中央公園を去った。
制服の替えなど部屋にある。
ただ解せないのは、一瞬しか交錯していないあの少年のことをここまで気にかける自分である。
が、ささやかな疑問もやがて寒さに紛れて消えていった。