重なる -11-




厳しい鍛錬を積んだ龍麻にとっては、多少気によって強化されていたとしても一介の高校生など物の数ではなかった。むしろ比嘉に怪しまれないように手加減をする方に気を使った。
「さて、さとみはどこに…ッ!?」
蹲る同級生の目の前で仁王立ちする比嘉の背後に、龍麻は気配を殺して立つと、瞬時に手刀を放った。
唖然とする莎草の手下を尻目に、崩れ落ちる比嘉を抱きとめると公園のベンチに寝かす。悠然とした所作に、不意をつく事も忘れて手下達は呆然としていた。第一、彼らとて好きで莎草に追従している訳ではないのだ。
「さて、青葉さとみの居場所は、俺が聞こう」
彼らは、実に素直に龍麻に従ってくれた。龍麻は勿論、その後「お礼」という名の気絶を漏れなくプレゼントしたわけだが。
聞き出した場所へと走りながら、龍麻は素早く鳴瀧へ連絡をした。比嘉の存在を知らせ、道場で保護するように頼む。この程度の甘えは必要だ。それに、基本的に利用できるものは利用する主義でもある。ついでに莎草の事も伝え、自分がこれから向かう場所も知らせておいた。後始末を任せるという主旨の事を遠回しに言っておくついでに勿論、途中手出しをしないように釘を刺すのも忘れない。手を出そうとした所で葛飾からここまでは相当の距離が在るし、暗殺組級の実力者が、一般道場の支部に過ぎない蘇我道場に詰めているとも思えない。
いずれにせよ、これは自分がケリを付けるべき事だ。
一瞬今までの自分の行動に対する後悔と反省に思考を飲まれかかるが、踏みとどまる。後ですれば良いことは後ですれば良い。今は目の前の事に集中するべきだ。
龍麻の現在の一番の関心事はまずさとみの無事だ。それは龍麻が一瞬でも早く現場に駆けつける事で確保される。そして次の関心事。莎草は果たして既に「狂った」のだろうか、それともまだかろうじてヒトの領域に留まっているのだろうか。既に「狂って」しまったとすればもう道は一つしかないがしかし、未だ「狂って」居なかった場合、彼をその道から遠のけるために自分はどのように行動すれば良いのだろうか。
莎草の言動を思い起こす。
彼は自分が正しいと言っていた、彼は周囲を見下していた、彼は周囲を攻撃する事で自分の整合性を保とうとしていた。
さて。
龍麻は聞き出した廃墟の前に辿り着いた。気を探れば、さとみの気配と莎草の気配が感じられた。さとみの気は弱ってはいたが、何か致命的な怪我をしているようには思えなかった。ひとまずほっと溜め息をつく。が、すぐさま表情を引き締める。
この心の弛みが今回の事態を引き起こした事を自分は忘れてはいけない。
あやまってはいけない。
龍麻は深く二三度呼吸すると、廃屋へと足を踏み入れた。

龍麻に何か起こったな。
壬生紅葉はそう咄嗟に判断した。
新たな任務について鳴瀧の説明が終わったのとほぼ同時に、鳴滝の携帯電話が鳴った。壬生はそれを見るとすぐさま一礼してその場を辞したが、扉を開けて外に出る瞬間、ディスプレイに表示された発信者の名前を観て驚く鳴瀧の顔が見えた。驚きを隠せないまま慌てた様子で通話ボタンを押す鳴瀧を見て、これは龍麻に何かが起こったなと何故か壬生は確信した。
鳴瀧から指示を受ける前に、壬生は動いた。
葛飾から龍麻の通う学校までは電車の乗り合わせがどんなに良くても一時間はかかる。暗殺組に入る際に頭に叩き込まれた路線図が壬生の脳内を駆け巡る。最短ルートをものの数秒ではじき出すと、壬生は駅に向かって自転車を飛ばした。最寄り駅はあまりに接続が悪い。多少面倒でも少し離れた別の駅を利用する事にした。
京成高砂駅から京成船橋まで。千葉方面へ出掛ける事は滅多にないため、慣れない駅での乗り換えになるのが不安だ。
電車がうまく接続してくれる事を願いながら、壬生は京成本線に飛び乗った。
電車の方が圧倒的に速い筈なのに、どうして自分の足で走りたくなってしまうのだろうと、車窓を流れる風景を苛々と眺めながら壬生は思った。
気がせいて、電車に乗っている時間が惜しい。学校から駅まで一気に全力失踪したため息が切れているが、それでも走りたいと壬生は思った。走っていた方が、気が紛れると。
よく考えてみれば、龍麻の身に何か起こった、というのは壬生が鳴瀧の反応を見て勝手に思い込んだだけに過ぎない。だから果たして予感が当たっているかどうかは当たるも外れるも八卦なのだ。が、そう思うとしても壬生はできなかった。腹の底でどうしようもない焦燥感が暴れている。大丈夫だ、きっと思い違いだと思い込もうとすればする程、とんでもないことが起こっている様な気がしてならない。
間に合ってくれと、ガラスに額をこすりつける。
15分程で、乗り換えの駅に着いた。

龍麻は必死になって頭をクリアにしようとしていた。
この力は一体なんなんだ。
身動きがとれない。身体を何かで縛られているようだ。おそらく気を錬成し莎草の言うところの糸のようにして扱っているのだろう。龍麻の動きを封じた事で安心したのか莎草は、先ほどから自らの高説をまくしたてている。
それを熱心に聞いているような振りをしながら、龍麻はこの力をどう振りほどくかを必死に考えていた。
未熟とはいえ、それなりに鍛錬を積んでいる龍麻の動きさえ封じる莎草の力は奇異であった。例えば龍麻の師匠である鳴瀧や紫郎ならばいざしらず、一般人の端くれでしかない、明らかに特別な鍛錬を積んでいない莎草がここまで強靭な力を発揮するとは考えられなかった。
しかし事実として今自分は拘束されている。
おそらく落ち着いて気を錬成し放てば拘束は外れるだろう。しかしそうすればおそらく莎草は逆上して更なる力を発揮させようとするだろう。そうすれば莎草は「狂って」ヒトならざるモノとなり、最悪の場合龍麻だけでなくさとみや周辺の住民を巻き込んでの大惨事が起こるかもしれない。
今更になって龍麻は鳴瀧に手を出すなと言った事を後悔していた。拳武館の訓練された生徒達を迅速に投入して莎草を拘束すれば、事態は好転するかもしれなかった。自分の矜持を優先した愚かさを龍麻は呪う。
護るべきはさとみの命であって、自らの名誉ではないはずだ。
いつもの意地の延長だった。
が、鳴瀧の事だ、既になんらかの手を打っているとも思っていた。先ほど一報を入れてから既に30分は経過している。葛飾からここまでの距離と生徒の招集を考えると、あと小一時間は掛かるだろう。しかし鳴瀧の助けを漫然と待ってのではそれこそ矜持が許さない。現状維持を最低限とし、可能な限り事態を良い方向へ向けなくてはいけない。…できるならばそのまま解決といきたいところだが。
わずかでいい、隙を作ってくれと龍麻は熱心に莎草の言葉に受け答えをした。少しでも話を長引かせて好機を伺いたかった。
莎草はもはや完全に個の世界に浸りきっていた。龍麻の受け答えも自分への賛辞というよりも寧ろ騒音のように聞こえるようで、龍麻が莎草を持ち上げたところで五月蝿そうに怒鳴り散らすだけだ。
このままでは、危ない。

車中の壬生に鳴瀧から連絡が入った。
案の定、龍麻の通う明日香学園へ向かえとの指令だった。壬生は既にその方面に向かっている事を伝え、龍麻の居場所を鳴瀧に聞いた。
「いま蘇我道場の門下生を使って付近の可能性がある地点の探索をやらせている」
「それでは居場所が分かり次第僕の携帯に直接連絡が来るようにして下さい」
「分かった。そのように手配しよう」
「門下生の投入は考えていますか」
「いや、現時点では考えていない。おそらくなんらかの力の使い手だろうからな。紅葉、お前も重々気をつける事だ」
「畏まりました」
壬生は携帯を切ると軽く舌打ちをした。なんらかの、力の使い手。
いや、来るべきものが来たに過ぎないのかもしれない。龍麻が壬生に教えてくれた事が真実ならば、こういった事に巻き込まれる事は珍しい事でもないのかもしれないし、実際龍麻は異形に慣れている様子だった。しかし、そういう問題ではない。
龍麻が自分に託した書に書かれていた事を記憶から引き出す。

「表裏ノ龍トハ只徒手空拳龍ノ陰陽ノ継承者デアルノミナラズ
 ソレ即チ天脈ノ陽ヲソノ身ニ受ケ又地脈ノ陰ヲソノ身ニ受ケルベキ者也
 天脈地脈ノ陰陽ヲソノ身ニ受ケル者ハソレ即チ天地ノ間ニ在リテ天地ヲ繋グ者也
 天脈ノ地ヘト向カフヲ地脈ニ返シ地脈ノ天ヘト向カフヲ天脈ニ返ス者也
 而シテ天地相巡リテ陰陽相交ハシ天下即チ太平ト成ル
 然レドモ天脈地脈ソレ人ノ身ニハ有リ余ルモノナレバ徒手空拳龍ニテソノ身ヲ鍛フル也
 即チ天脈地脈ヲソノ身ニ受ケルベキ者ハ共ニ徒手空拳陰陽ヲソノ身ニ修ムルベシ
 コレ徒手空拳龍ニ陰陽アル故ニテ又門外不出ノ真也」

幾度も読み返した。
内容は全て元の文のまま頭に入っている。
言葉の一つ一つを噛み締める。
表裏の龍は、それぞれ陽である天の気と陰である地の気を身に受けて、天地合一天地交流という陰陽五行の最高原理にして根本原理を円滑にする役目があるという。しかしそれは人間の身だけでは保たないため、表裏の龍は徒手空拳を修得し心身を鍛えよと。
それが徒手空拳陰陽の存在意義であると。
おそらく陽を継承している龍麻は天の気を、陰を継承している自分は地の気を受けるのだろう。
始めは、あり得ないと思った。
自分にそんな大層な役割があるとは思えなかったし、第一天地の気の循環のために仲介者が必要などとは聞いた事がない。
だが壬生には思い当たる節があった。
自分の周辺に居た人々。両親を始め親戚達の、相次ぐ病死。
病弱な家系としか思っていなかったこの事実の背後にあるのが、自分がつまり陰の気を集めているという事だったら。
壬生は親戚が罹った病名や死に至るまでの詳細な過程を全て調べ上げた。その結果は、壬生を打ちのめす結果だった。病気それぞれ疾患そのものやまた死に至るまでの過程や症状も丸きり関連性はなく、「血筋」に因るものとは到底思えなかった。しかしただ患部は心臓肝臓が多く、男性の方が発病してから早くに逝去する傾向が見られた。心臓も肝臓も男性も、陰陽五行説では陽に分類される。陽は陰を、陰は陽を惹き付ける。陰を本来惹き付ける陽に属するものが、陰気を多く集めた結果だとしたら。
馬鹿な。と、一蹴する事は、出来なかった。
何故か、衝撃はなかった。寧ろ妙に納得していた。
自分は「悪しき存在」だと、物心ついた頃からそう思い込んで来た。根拠はない。両親は深く愛してくれたし、与えられなかったものは何一つとしてない。それなのに何故か壬生の心には強固なまでの自己否定感がいつの間にか植え付けられていた。
きっと、気付いていたのだろうと思う。本能で。
心はきっと、知っていたのだろう。
母が命を保っているのは、おそらく壬生自身が鍛錬を積んで来たその成果によるのだろう。実際、壬生が拳武館に入ってから母の病状はかなり回復した。今までは、自分がしっかりと進路を進みしかも鳴瀧という理解者を得た御陰で、母親も治療に専念できるようになった結果だとばかり思っていたが。
そう、壬生は疑わなかった。書に書かれていた事は真実だと、受け入れた。
自分は徒手空拳陰の継承者であるだけではなく、地脈の陰気を天へと還元するための装置なのだと。
器である自分が抑えきれないままに垂れ流した陰気が周囲の人々の陽気を蝕み、そして病を与え、死に至らしめてきたのだと。
それを、事実として。
壬生は思い出す。龍麻は、自分は異形を惹き付けるのだと言っていた。
それはおそらく龍麻が陽の気を多く受けている結果、それを喰らおうと異形が寄ってくるのだろう。あるいは龍麻の陽気が中和を謀って自ら異形を招いているのかもしれない。
この重みを、自分が背負う遥か以前から龍麻は背負っていたのだ。
自分が只存在しているだけで自分が愛する存在に危険を、場合によっては死を与える事になるという、重すぎる事実を。
龍麻がこの書を渡す時に戸惑っていた理由が、今なら分かる。
でもだから。
自分は今、龍麻の元にいかなければならない。