重なる -4-
忌々しい思いを抱えながら十日程が過ぎた。
新宿駅近くの気に入りの文具店やら書店やらを冷やかしてから、今日の午後は映画でも観ながらのんびり過ごそうとDVDを一本レンタルした。ついでにコンビニでスナック菓子を幾つか買い、龍麻はのろのろと家に向かった。いつも通り近道に公園を横切ろうとした時、龍麻は思わず足を止めて愕然とした。
「な………」
思わず声が漏れた瞬間、その少年が顔を上げた。顔ははっきりとは覚えていないが、顔よりもむしろ気で人を記憶する龍麻にとって関係なかった。紛う事はない、正しく、先日新宿中央公園で龍麻に助力したあの少年だった。
少年は眉をぴくりとも動かさないまま手元の本に栞を挟んで閉じじると、体を起こして龍麻を正面から見つめた。
「おま………」
なんでここに、と言いかけたが龍麻はそれを飲み込んだ。休日を高校生がどのように過ごそうがそれは本人の自由だ。たとえ拳武館高校が葛飾区にあって、新宿まで出てくるには割と面倒な乗り換えを繰り返さなくてはならなかったとしても、だ。そして拳武館の生徒が新宿にいるという事の意味を、指摘されなくとも龍麻は十分予測していた。それならば、聞く方が野暮というものである。
「…………ーーー」
何か言ってやろうと龍麻は何度か口を開けたり閉じたりした。少年はそれをまじまじと見つめた後、漸く「なにか」と首を傾げながら静かに言った。
相手の至極冷静な反応に、龍麻は一瞬口をつぐむと、やっと言葉を繰り出した。
「お前、時間、あるか?」
質問の意図が分からない、とでも言いたげに、少年はまた首を傾げた。
「20分でいい。ここにいるか?」
「多分」
「じゃ、いろ」
居丈高に言い放つと、龍麻はそのまま少年の前を通り過ぎていった。
若干鼻息が荒いのは、先日の忌々しい思いが蘇ったからだろう。しかし出会い頭に怒りを叩き付ける程龍麻は子どもではなかった。憤然としたまま龍麻は公園を後にした。残された少年、壬生紅葉は暫くその後ろ姿を見送った後、何事もなかったかのように再び本を開いた。
20分と言いながら、紙袋をぶら下げて龍麻が戻ってきたのは30分以上経ってからだった。壬生は特にそれを咎める事もせず、また本を閉じた。
龍麻は無言で壬生の隣にぶら下げてきた紙袋を置くと、一瞬壬生の顔を見た。若干眉間に皺が寄せられているその顔を、壬生は妙に綺麗だと思った。それまで誰かの顔立ちについて特に感想を抱いた事はなかったが、軽く吊り上がった眉に強い光を讃えた目を見て言い知れない好意を感じた。壬生とは違った形で現れ出た、人を寄せ付けまいとする心の鋭さに、壬生が直感的に気付いたのかもしれない。
龍麻は目が合うか合わないかのの間だけ壬生を見つめた後、「じゃあな」とぶっきらぼうに言うと踵を返した。
紙袋を覗き込むとそこにはあの時壬生が龍麻の身体にかけた制服がきちんとクリーニングされて入っていた。態度に似合わない丁寧な扱いに、何故だか心が緩むのを壬生は感じた。
もうそれ以上そこに留まって読書をする気にもなれず、壬生は紙袋を持って立ち上がった。瞬間、紙袋の妙な重さに気付く。制服にハンガーの重さを加えても余りある重みを不審に思った壬生は、制服を手に取って袋の底を見た。
クッキーが詰められた袋が二つ、制服に隠れて転がっていた。
パン屋かどこかで買ったのだろう、素朴な色合いの小さなクッキーが詰められた袋には店の物とおぼしき可愛らしいシールが貼られていた。それ以外、メモもカードも入っていない。
ひどく遠回しな「ありがとう」に、壬生はそれこそ数年ぶりに笑いをかみ殺すなどという行為をした。