奏でる -2-




結局二人で作った夕飯は、一人で作るよりも倍時間が掛かったが、なぜか妙にくすぐったくて、美味しかった。
二人でしゃべりながら作ったせいで、煮物は煮くずれたし魚は少し焦げた。本当は失敗した筈の料理が、それなのに何故か失敗には思えず、壬生はなんとなく気恥ずかしい思いでそれらを食べた。
テレビもない家なのに、どうしてこんなに賑やかなのだろうと思った。
部屋に並べて布団を敷いた。今壬生の隣では龍麻が寝息を立てている。
壬生は寝返りを打って龍麻の方を向いた。偶然龍麻も壬生の方を向いていて、いきなり顔と顔を付き合わせる事になって、壬生は少し動揺する。
龍麻の寝顔は平和そのもので、壬生に一片の危険も感じていない事がよくわかった。どうしてこんなにも信用されるのだろうかと壬生は内心首を傾げた。
出会ってまだ半年も経っていない。今が3月、出会ったのが11月。そう、あの頃はまだ寒くなろうとしている時期だった。今は、暖かくなろうとしている。そう考えると、それなりに時間を重ねて来たのかもしれない。

莎草の事があってから、二人は頻繁に会っていた。壬生が仕事の帰りに龍麻の家に寄ったり、あるいは龍麻が学校帰りに拳武館の道場に寄ったりした。
会って何をする訳ではなかったが、壬生にとってはその時間は酷く暖かく嬉しい時間だった。
学校には文学について存分に語れる相手は居なかったし、真冬の皿洗いの苦痛について語れる人間もいなかった。壬生は龍麻に海外推理小説の面白さを伝えたし、その一方で壬生は龍麻からアングラ系ジャパニーズポップスの歌詞の面白さを知った。
大根の調理方法について小一時間一緒に模索し、おいしい緑茶の煎れ方について聞き、簡単でおいしい野菜ジュースの作り方を話した。洗濯日和がなかなか来ない事を一緒になって嘆き、クイックルワイパーの偉大さについて共感した。
ひとつひとつはどうしようもないくらいに下らないのに、どうしてあんなに楽しかったのだろうと壬生は思う。しかも話した事の大半は、もう忘れてしまって思い出せないのだ。全部つい最近の事なのに。それにほらもう、さっき夕飯を作りながら何を話していたのかさえ、思い出せない。あんなに笑ったのに。
壬生はそっと溜め息をついた。
人は忘れる生き物だというが、何故だろう。何故嫌な事だけ忘れて好きな事だけ覚えていられないのだろう。
忘れたい事に限って、そのデティールはいつまで経っても鮮明で、覚えていたい事はそのイメージだけが浮遊して、形はあっという間になくなってしまう。
これが頭が混乱しないための予防措置なのだとしたら、人間も随分とおかしな進化の仕方をしたものだ。それとも進化の先に逆転は存在するのだろうか。
いやしかしそんなことはどうでもいい。大事なのは今、自分が、覚えていたい事を覚えきれていないという事だ。
いつの間にか閉じていた瞼を再び開けて、龍麻を見る。
龍麻はどう思っているのだろう。自分と過ごす時間を、煩わしいと思ったりはしないのだろうか。共有された時間を、少しでも楽しいと思ってくれているのだろうか。
特別になどならなくていい。
けどせめて。
自分も、龍麻の



いつのまにか意識が途絶え眠りに陥っていた。目が覚めると龍麻はもう起きているようで布団が丁寧に畳まれていた。離れた所から湯の沸く音と包丁とまな板のぶつかる音が聞こえてくる。枕元の携帯電話を引き寄せてみれば丁度五時半だった。
見慣れない景色をぼんやりと眺めた後、そうか、龍麻の生家に来ているんだったと思い出す。部屋はストーブがたかれていて暖かい。ただ部屋の暗さだけが早朝の寒さを思い出させた。
なかなかすっきりしない頭を抱えたまま壬生は起き上がった。幾度か頭を左右に振った後、のそりと立ち上がって布団を畳む。最中に龍麻が襖をからりと開けて顔を覗かせた。
「はよ。も少しで御飯出来るからテーブル出して待ってて」
言いたい事だけ言うと、龍麻はまたすぐに引っ込んだ。
目の前でぴしゃりと襖を閉じられて所在ない壬生は、仕方なしに言われた通り部屋の隅に立てかけられている重厚な作りの卓を部屋の中心に寄せ、そこに座した。が、すぐに手持ち無沙汰な状況に耐えられなくなり龍麻を手伝おうと腰を浮かす。
と、龍麻が足で襖を蹴り開けて入ってきた。行儀の悪さに眉をしかめる壬生にはおかまいなしに、龍麻は盆に載っている茶碗と漬け物とみそ汁と昨日の煮物残りを手早く配膳する。
「…箸忘れた」と独り言を言うとまた部屋を出て、戻ってきた時には米櫃と箸を二膳手にしていた。
「はいよ」
座りながら箸を手渡し尚かつ自分の箸を握るという器用な芸当を見せた龍麻は「っただきまーっす」と手を合わせるとみそ汁を啜った。
「?どした、腹へってないの?」
呆然と並べられた朝食を見ている壬生に龍麻が小首をかしげる。
「いや…」
壬生はもじもじと箸を持ち直すと、どうもこういうのは慣れないなと思った。しかし龍麻に自分の戸惑いを素直に話す気にもなれず、ただ寝起きで胃が起きていない事にしてみそ汁に口をつけた。壬生が作るみそ汁よりも少し薄味な昆布出汁のみそ汁は、壬生の胃袋を優しく暖めた。
誰かと寝食を共にする事に慣れない。考えてみたら母親が入院してからずっと一人で暮らしてきたのだから、丸三年間、誰かと一緒に朝食を食べたりはしなかったのだ。ましてや食事を用意してもらったことなど。
自分と違って全く違和感を感じていない様子の龍麻に、壬生は何故だか少し腹が立った。自分だけが思い悩んでいるようで不公平だと思った。
「後片付けはお前な。洗いカゴに適当に入れておいてくれたら俺が後で直しておくから」
朝っぱらから暗い思考に囚われている壬生とは対照的に、龍麻の頭は今日やる事でいっぱいだった。自分がここに居れる期間は限られている。最後の片付けも考えると残り五日と言った所か。その内に何が何でも新しい発見をしたかった。