追憶の緋 -3-




下に降りるまで、俺はそれぞれの宮の説明をした。もちろん、ギリシア語で、だ。
カミュは最初訳が分からない風だったが、紋切り型の説明のせいで次第に勝手が分かってきたらしい。
双児宮に来た頃には生意気にも質問するようになっていた。
「ここを守る人はどんな人?」
「強くて真面目だ」
カミュはフランス語で質問する。それに対して俺はなるべく簡潔にギリシア語で答える。
俺の言葉をカミュは繰り返す。真面目だなぁ、コイツは、と思いながらそれを見ていた。
俺はロクに覚えようとしなかったから、まともに話せるようになるまでに半年以上かかった。他の連中は三ヶ月程度で話せるようになっていた。コイツなら、二ヶ月でそこそこで話せるようになるだろう。
「あれはなんて言うの?」
カミュは石段を指差して言った。
「階段」
「かいだん」
俺の言葉を、たどたどしく繰り返す。
「階段だ」
「階段」
「そう、階段」
端から見ると馬鹿様な会話だが、これがないとしょうがない。
早く覚えてもらわないと困る。でも母国語も忘れられたら困る。聖闘士ってのは面倒なもんだ。
ようやく白羊宮まで降りてきたら、ムゥとミロが待っていた。
「何やってんだ、チビ共。今頃は走り込みの時間だろぉが?」
カミュに話しかけるのとは違った、砕けたギリシア語で話しかける。
「サボッてなんかないよ!」
ミロが噛み付いた。
「私達は今朝早くに終わらせたんですよ。アイオリアは寝坊してできなかったけど」
ムゥが説明をした。
新入りと遊ぶ時間を確保しておいた、というわけか。ちょうどいい。俺はカミュの背中を押した。
「スコーピオンのミロと、アリエスのムゥだ」
「よろしく!」
ミロが大きな声で言いながら手を差し出した。
「よ、ろ…?」
ミロの早口は聞き取れなかったらしい。カミュは困ったように口を濁らせた。
「よろしく、だ。よぉろぉしぃく」
俺は一言一言切ってゆっくりと発音した。カミュはそれを聞いて頬をかっと赤くした。
同年代の前で子供扱いされたと感じたのだろう。だが仕方ない。ミロはギリシアの出身だし、ムゥもここに来て長い。
「よろ、しく…」
目元を赤く染めながら、カミュはミロに手を差し出した。
「よろしく!」
ミロは顔中口にして笑った。
「ムゥも…よろしく」
カミュはミロから手を離すと、ムゥの方にも手をやった。
「えぇ、よろしく。デスマスクにいじめられたら、私に言って下さいね。シオン様に言いつけてあげますから」
ムゥの言葉はよくわからなかったらしいが、俺を揶揄ったのだけはわかったらしく、曖昧にカミュは笑った。
「余計な事言うな、チビが」
俺がムゥの額をつつくと、ムゥはふんっと俺をにらんだ。
「そのうち追い抜いて差し上げます」
「さぁ、どうだかな」
俺はニヤリと笑った。
「おい。カミュ」
フランス語で、話しかける。急に言葉を代えられて、カミュは少し驚いたようだった。
「ちょっとこいつらと遊んでこい。そっちのがいいだろう。俺は近くにいるから、なんかあったら声かけろ」
カミュは俺の言葉に目を丸くして、コクンと頷いてから慌てて「はい」と付け足した。生意気だが、やっぱガキだなぁ、とそれを見て思った。
俺は同じ事をミロとムゥにも言った。
「危ない事するなよ。カミュはまだろくに力にも目覚めてねぇんだからな。普通の遊びやれよな、普通の」
ミロは「はーい」と言っていたが、怪しい事この上ない。まぁムゥがついているから大丈夫だろう。
ミロのギリシア語は相当汚いが、ムゥのは発音も文法も綺麗だ。できたらコイツのギリシア語を覚えてもらいたいもんだ。
三人は連れ立って森の方へ走って行った。
俺は見失わない程度の距離を保って、ゆっくり後から着いて行った。