青葉 -3-
「……何故、こいつも付いてくるんだ」
眉間に深く皺を刻みながら、龍麻が子犬を見下ろした。はっはっはっ、と舌を出して無邪気に尻尾を振る子犬は、龍麻の不機嫌光線にたじろぐこともない。
ちなみに、名はまだない。
今回の事件にかまけているう内に、日ばかりが過ぎていったのだ、
「だって…部屋に一匹残しておくのも、心配だろう?」
壬生の言い分も一理ある。が、龍麻の機嫌は直らなかった。
「好きにしろ。だが不都合は自分でどうにかするんだな」
踵を返して、神主と待ち合わせている場所へ向かう。
穴八幡宮の境内は、やや閑散としていた。毎年冬至から節分に掛けてご利益ありとの名が高い「一陽来復」の札が配布され、その時期は東京どころか周辺の都道府県から参拝者がやってくるのだが、その時期以外は散歩代わりに訪れる老人や学生くらいしか来訪しない。
本殿の前に、件の鏑木一陽が立っていた。
「初めまして」
互いに簡単に挨拶を交わすと、鏑木は二人を奥へと案内した。
「例の殺人事件が初めて発生したのは、今年の夏過ぎでした…」
「9/27日に神楽坂在住の老女が被害に遭ったのを皮切りに、その後学生や老人などの周辺住民を中心に断続的に発生。9/27以降、今日に至るまでに14人が被害に遭っている。内死亡者は7名、重傷4名、軽傷3名」
「左様でございます」
龍麻の調べ上げた情報に、神主が頭を下げた。
「通常の殺人事件であれば警察が公表し厳戒態勢を引くのだろうが…」
「はい。それが出来ない事情がございます」
龍麻は鞄から何枚かプリントアウトしてきた写真を取り出した。
「これか」
「はい」
そこには、明らかに歯で、それも非常に大きく鋭い、巨大な獣かなにかの牙で付けられただろう傷を負った死体が映し出されていた。
凄惨な死体は、ところどころ欠損している。
「喰われたな」
「そのように、考えております」
冷や汗をかきながら、神主は声を絞り出した。
その様子を見て、龍麻がきゅっと目を細めた。
「見たか」
「……この世の物とは、思えませんでした」
実際、「此の世」に属する物ではない。
神職に就いているとはいえ、並の人間である鏑木が「それ」をみて恐怖したとしても、それは真っ当な反応である。
だが龍麻は冷酷に命じた。
「話せ」
これ以上の情報は、警察署のデータベースからは取得できなかった。
断続的に、穴八幡宮付近で殺人事件が発生していること、またその死体が非常に不自然であること。
「あれは……10月17日の事でございました……」
その晩、鏑木は遠くで聞こえる物音に起こされた。
神主の自宅は境内の外れにあるが、その音は本殿の方から聞こえてきた。微かな声だったが、それは悲鳴の様にも聞こえた。
「この周辺には大学も多くございますので…てっきり学生達が騒いでいる声かと思いました」
神聖な境内を侵すとは何事かと、一つ説教でもしてやろうと鏑木は寝所から出た。
だが家の外に出た途端に、何やら様子が違うことに気が付いた。
「妖気……とでも申しましょうか。私自身にはさしたる能力もございませんが、曲がりなりにも伝統ある穴八幡宮を護るもの。気配くらいは察知できまする」
異様な気配に怖じ気づきつつも、ならばいっそのこと捨て置くことはできない。
鏑木は勇気を振り絞って、ゆっくりと本殿へと向かっていった。
木立の影から、本殿正面の参拝道を拝めば、そこには異様に大きな影が見えた。
大きな影にぶら下がるように、小さな影が揺れている。
目を凝らしてみれば、それは、人間であった。
息を呑み、目を凝らせば、女性であることが分かった。一体何に吊り下げられているのだろうと、鏑木はなおも目を凝らした。
始め女性を釣っている大きな影は影にしか見えなかったが、突如としてイメージを象り始めた。
あ、と思った時には、それが異様に大きな男性であることが分かった。
その、男性の口は
「耳まで裂け」
恐ろしく長い牙が生え
「額からは二本の」
頭部からは三本の
「角が」
生えていたのだ。
それを見た鏑木は、必死の思いで悲鳴を呑み込み部屋に駈け戻り、夜が明けるまで布団の中で祝詞を上げ続けたと言う。
「確かに男性であったか」
「……はい。暗くはありましたが、間違いなく」
「だが」
「はい。怪我で済んだ皆様の中には、女性であったと言っている人もいらっしゃいます」
鏑木の言葉に、龍麻は腕を組んで考え込む。
「その鬼は、何か口走ったりはしていませんでしたか?」
龍麻の質問が終わったことを確認して、壬生が質問する。
鏑木は首を傾げて、「記憶にはない」と返した。
「その事件以来、物音を聞いたりしたことは?」
「ございません。実際、境内で事件が起こりましたのは、この一件だけです」
「祝詞が効いたのだろうよ」
どうでもよさそうな口調で言うと、龍麻はすっくと立ち上がった。
「いくぞ、紅葉」
「では」
壬生は鏑木に頭を下げて立ち上がった。
「お二方……」
「安心しろ、冬至までにはなんとかする」
不安そうな顔の神主に、龍麻が振り返りもせずに言う。
「貴方は逃げたが…責められはしません。あれは、異形のモノです」
壬生は微かに微笑んで、鏑木に安心する様頷いてみせた。
風のように去ってゆく二人の背中を見送りながら、鏑木はそれでも不安を隠しきれなかった。
「アンッ!アンアンッ!」
壬生の姿を認めた子犬が、脚にまとわりつく。
「さて、お前は何と見立てる?」
子犬とじゃれる壬生を見下ろしながら、龍麻が言った。
「今回も、おそらくは例の一連の事件と関連があるだろうね」
「無論」
「警察の調書によると…男性は女の鬼、女性は男の鬼に狙われている。これがキーになるだろうね」
「あとは発生のタイミングだな」
龍麻は鞄から書類を引っ張りだした。
9月からのカレンダーがプリントされているそれには、合わせて14箇所に印が付けられていた。
その印のつき方はあまりにもランダムで、一定の傾向を見つけ出すには困難なように思えた。
「最大で間隔は一週間だろう?それなら張り込めばいいんじゃないかな」
「随分と悠長な話だが……今のところそれしか策はないな」
事件の発生時刻は深夜1時から3時に集中している。その時間帯に穴八幡宮周辺にいればいいだろう。
その時刻を見て、龍麻はふと何かが頭をよぎった気がしたが、思いつきはすぐに流されて消えてしまった。
仕方ないと龍麻は肩を竦めて、壬生の提案した「総当たり作戦」を採用した。