片思いラブ -2-




目的地に着いた瞬間、出くわしたシロアリは、とりあえずぶん殴って沈めて女子トイレに放置しておいた。
なぜ女子か。嫌がらせに決まっている。
ついでに油性ペンでプロテクターに「ド変態♪」とでも書いておこうかと思ったが、それよか早く目的地に向かおうと思い直す。
アリンコは一人で確認のために見回りに来ていたようだ。他に敵影は見えない。
安心した葉佩は、二三度ノックしてから音楽室に入った。こうすれば敵でないことはわかるだろう。まぁ、ここにいるという確証はないのだが。
彼の性格を考えるに、ここに間違いないだろう。
「あ……」
案の定、いた。
葉佩は自分の頬が紅潮したのを感じた。こんな緊急事態に、なにを暢気な。
「おっまえなぁあ〜!」
低く抑えた声で、怒鳴る。音量を抑えたためか、必要以上にドスがきく。しまった、と思った瞬間、取手鎌治の表情がくしゃりと歪んだ。
「ごめん………でも…あいつらにピアノをいじられたりしたら…」
「わーったわーった!無事ならそれで良いさ!」
せっかく様子を見に「わざわざ」来たというのに、切ない表情でピアノを撫でられて、葉佩は少し、いやかなりムッとした。
別に来てくれと頼まれた訳ではないし、そもそも取手とそこまで親しい訳ではない。すれ違ったらちょっと挨拶をして、保健室で出くわしたら二三言葉を交わす程度だ。
葉佩が一番最初に戦った相手だが、一緒にいる時間が一番短いのも取手かもしれない。
でもなら何故「わざわざ」ここに来たのか。そこはまぁ、推して測るべし、である。
もっとも、前述した通りの調子なのであまりに望みがなく、葉佩は自分では「吹っ切れた」と思い込んでいるが。
「他のみんなは……」
「講堂で拘束中。一部校舎内にいるから、俺はその確認」
「そう…………ごめん…迷惑、掛けちゃって…」
「おっまえなぁ〜…そういう言い方されると結構傷付くんだけど?」
「……ごめん」
目を反らされながら謝られ、葉佩はshit!と舌打ちをした。勿論、取手に対してではなく自分に対して。
しかし耳の良い取手はその舌打ちをしっかり聞き取って、しかも自分に向けられたものだと勘違いしたらしい。
大きな体を縮こまらせる取手に、葉佩は増々苛立つ。
「だぁあー、もーッ!別にお前にキレてるわけじゃねっつの!」
言っても、取手の背は折れそうなくらい丸まったままだ。
葉佩は盛大な溜め息を肺の底から絞り出すと、どかっとピアノの椅子に腰を下ろした。
「で、お前はどーするわけ?」
「どうするって……?」
「十中八九そのうち連中が来るぜ。一人でどうこうすんのはさすがにキツいべ。手伝いたいけど、そうするわけにもいかねーし」
ヒョイッと肩を竦めながら葉佩が言う。
「ピアノが大事なのはわかるけどなー、命掛けなんて、ちょっちもったいねーっしょ?」
「……………心配、してくれてるのかい?」
長い前髪の間から取手が葉佩を見た。葉佩の方が、腰を下ろしている事もあって圧倒的に背が低いというのに、なんとなく目線が上なのが気になるところだ。
「あ・の・なぁあ〜……心配じゃなかったらそもそもこんな時に音楽室なんか来ないっつの!」
がっくりと肩を落として溜め息まじりに葉佩が言った。
髪の毛をわさわさと掻き回す葉佩をしばらく無言で眺めていた取手は、幾度か口を開け閉めした後、掠れた声で言った。
「………ありがとう」
「っはぁ!?」
予想しなかった言葉に、葉佩は目を白黒させた。
「いや………ここは…感謝するところなのかなって、思ったから…」
さきほど謝罪して怒られた経験を生かしたのだろう。困ったように首筋を撫でる取手をみて、葉佩は何故か顔を赤くする。
「ん……ま、あ、謝られるよかなんぼかマシ…だ、けどよ」
口を尖らせてぼそぼそと言う。嘘だ。嬉しい。
実を言うと、結構マジで嬉しい。
「と!とにかくだなぁ、ここにいるのは危険だって!」
気を取り直して葉佩は取手に言った。
「でも……他に行く所も……」
「校外に、ってテもあるけど?いっそ警察呼ぶってのもアリだぜ?」
「だけど………それじゃ遺跡が……」
今度は取手が心配そうに葉佩を見る。
「お前ねぇ、遺跡より人命でしょ?色々助けて貰った人を犠牲にしてでもゲットレしたいってわけじゃねーもん、俺」
軽く取手を睨みながら、葉佩は言った。
「でも………僕は…君を助けたりは………」
「そりゃは仕方ないだろう」
実際、取手が葉佩と一緒に遺跡に潜ったことは一度もない。葉佩が誘わないからだ。
「そう……だよね。君は僕が余り好きじゃないみたいだし……」
取手の言葉に、葉佩は一瞬詰まる。詰まってから「はぁあぁーー!?」と思い切りチンピラな声を吐き出した。
「な・ん・で、そーなるわけー!?」
「え………だって……」
さっぱり分からんと言った風に、盛大に首を傾げて眉を八の字にする葉佩を見て、今度は取手が戸惑う。
「僕を…探索に誘うことはしないし………」
「ったりめーだろうが!楽器やってる人間を遺跡に誘うかってのッ!」
思わず声が高くなる。
「あ………………もしかして…それで……?」
「ったりめーだろうが!それ以外に何があるってんだよ!それに…そもそもお前が、俺のことあんま……好きじゃ、ない…じゃん」
尻窄みになってゆく声に、また取手は目を大きくした。
「え………な、んで……?……そんなこと、ないんだけど……」
むしろ葉佩の方が、喋り方はつっけんどんだし、取手がいても興味なさそうにぼーっとしているし、たまにこっち軽く睨んだりも…してたしと、脳内で反論する。口に出さないのが、取手の奥ゆかしさである。
「お前、俺の話し方嫌いだろ?騒がしいし、言葉汚ねーし。俺、育ちあんま良くねーもん」
口を尖らせながら言う葉佩を見ながら、え、素だったんだ、と取手は驚く。
言われてみれば、他の人にもこんな感じの口調だったかもしれない。
取手と同じクラスのリカと話している時はもっと丁寧だったから、てっきり自分が嫌がられているのだと思っていた。が、おそらくリカへの言葉遣いの方が特別なのだろう。
「それに俺が近くにいても声掛けねーし……まぁ、俺がぼーっとしてんのも悪ィけどさぁー、皆守ですらど突いて来るってのに…」
(あれは……ぼーっとしてるだけ…………?)
取手の脳内に、休み時間の葉佩の姿が浮ぶ。そう言われてみれば、そう思えなくもない。目つきが妙に座っていることが気になるのだが。
「しかも……俺が見たらすぐ目線外すし……別に、いいけどよぉ。俺目つき悪ィし、柄も良くねェし……けど、あんなロコツにされたらさ、さっすがに、さぁ……」
あ、あれは睨んでた訳じゃないんだと、取手は得心した。どうやら、無意識に目つきが悪いらしい。
様々な誤解に気付いた取手は、少し嬉しくなった。
自分だけ仲間はずれのような、ちょっと寂しい気持ちでいたのだが、どうやらそれは自分の勝手な思い込みだったようだ。
「…本当に……嫌いな訳じゃ、ないんだね………?」
ほっこりとした気持ちで、葉佩に念を押すと、葉佩は真っ赤な顔で、取手を見上げた。
「…嫌いな奴が、無事でいるか……こんな時にわざわざ、確かめにくる程俺は博愛主義者じゃねーよ……ッ」
どんどん早口になって、最後は吐き出すようだったが、赤く染まった耳を見ればそれが本心であることが分かる。
早鐘のように打つ鼓動を聞きながら、葉佩はまたshit!と舌打ちをした。これもまた、自分に向けてである。
「んでなぁ!お前は…ッ!」
言おうとした言葉は取手の掌で遮られた。
「ッ!!!?!?!?」
仰天して息を詰めた葉佩に、取手は小さな声で言った。
「足音が…四つ。階段を上ってきている」
ひんやりとした大きな掌が葉佩の口元から離れ、葉佩の袖を引いた。
呆然と、葉佩は促されるまま取手の後に着いて準備室の中に滑り込んだ。