片思いラブ -4-
「ってなんでお前がここにいるんだよぉお〜ッ!」
遺跡の入り口で葉佩は絶叫していた。
「えっと……ご、ごめん………」
取手鎌治は、申し訳なさそうに口元を抑えた。
頭を抱えてのたうち回る葉佩は、端から見れば滑稽としかいい様がないが、本人は真剣に苦悶していた。
「あ・の・ね、取手君?」
こめかみに血管浮き上がらせながら葉佩はにっこり笑って取手に詰め寄った。
「う、うん……」
「俺は〜、さっき〜、なぁーんて言ったっけ?」
「えっと……音楽室から、動くなって………」
「おーしおし。よおっくできましたぁ〜」
にっこり。
目が笑っていない葉佩に、取手はまた俯いて「……ごめん」と謝った。
しょんぼりと地面と見つめ合う取手の姿に、葉佩の怒りもややクールダウンする。
少し言い過ぎたかなと反省したところに、取手の言葉が加わる。
「僕は……君に、助けられてばかりだから……その、今回はこんな状況だし他のみんなはきっと助けにはこれないだろうし…えっと、大した力にはなれないと、思うけど……」
つっかえつつも、自分の考えを葉佩に伝えようと一生懸命話す取手の姿を見て、葉佩の怒りは自然に鎮まっていった。
割れ知らず頬が緩んでいる事に葉佩は気付き、いかんいかんと慌てて頭を振る。
「取手、気持ちは本当に嬉しい。バディがいてくれるってのは本当にありがたい。でもな」
俯く取手の顔を覗き込む。覗き込むとは言っても腰を屈める必要がないところが葉佩としてはなんとも切ないのだが。
「お前は駄目だ」
きっぱりと言い切る。
取手の顔が、くしゃりと歪んだ。
一瞬潤んだ目を見て葉佩の決心が揺らぐが、ここで引いては元も子もないと、ぐいっと背中を反らして取手を見る。
「遺跡の探索は危険だ。命に関わらなくても怪我は毎度の事だ。多少の怪我なら治療は出来る。でも、お前は……」
葉佩の目線が、取手の長い指に絡む。
節高く、ほっそりとした指だ。肌の白さと相まって、長い指はどこかグロテスクな印象も与えるが、葉佩はその薄気味悪さを寧ろ美しいと感じていた。
そしてこれが生み出す音楽は、切ない程に綺麗だ。
「お前は、俺のために、音楽を失うべきじゃない」
「葉佩君……」
取手が顔を上げて葉佩を見た。
灰色掛かった瞳に、またうっすらと涙が浮かぶが、取手は今度は笑顔を浮かべた。
まともに直視された葉佩は頬を赤らめた。が、目はそらさず真っ直ぐに見返した。
「ありがとう、でも……僕は、行くよ」
目の奥にたたえられた意志の強さに、葉佩は息を呑んだ。
こんなにも強い光を取手の目が宿したところは見た事がない。
墓守から解放された時の生き生きとした光ともまた異なる。信念を持って前に進む者だけが放つ強さに、葉佩は一瞬目が眩む。
「僕は、君の力になりたい。与えられたこの力を、人を傷付けるためじゃなくて、今度は、君のために使いたい」
取手が手のひらを返すと、そこにはうっすらと紋様が浮かび上がっていた。ホルスの目。天上より邪悪を見据える偉大なるハヤブサ。
なんで、と葉佩は思う。
なんで、取手はここまで言ってくれるのだろうか。自分はここまでして守ってもらう価値があるのだろうか。
勿論、嬉しい。けれど、悲しい。取手の与えてくれる想いにふさわしい自分を思い描けないから、切ない。
けれどここで尚も取手を断れば……
「勝手に、付いてくるんだろうなぁ……」
しょうがないなと苦笑する葉佩に、取手が微笑で返す。
大人しくしていろと言い聞かせても聞かず、最も危険な遺跡まで敵の目をかいくぐってやってきたのだ。
来るなとここで言われてはいそうですかと引き下がるとは、到底思えない。
「ま、ここで放ったらかしにするよりも、一緒に付いてきてもらった方が俺も安心だしな」
「じゃあ………」
取手の頬が喜びに染まった。
輝く目で見られて、葉佩は困ったなと思う。が、こんなに嬉しそうな取手は初めて見るから、まぁこれで良かったのかなとも思う。
「ったく…お前がこんなに頑固だったとは思わなかったぜ」
ぶつぶつ言いながら遺跡内部へ降りてゆく葉佩の背を追いながら、取手は妙に嬉しそうだった。
レリックドーンの一件以来、葉佩と取手の関係に変化があったことは、周囲の目から見ても明らかであった。
それまではろくに言葉も交わさなかった二人が、いまは昼食を共にする程にまで親密になっている。
尤も、クラスも異なる二人であるし、双方共に自分から率先して誰かに会おうとは滅多にしないため、親密とはいってもそう目立った仲ではなかったが。
だが皆守甲太郎は気付いていた。葉佩の態度が、取手を相手にした時にだけ、若干異なる事に。
葉佩の他とは異なる態度を、皆守はまだ互いに不慣れなためだろうと解釈した。勿論それは的外れな捉え方ではなかったが、しかし真実を言い当ててもいなかった。
「はっちゃん」
葉佩をそう呼ぶのは学内にも一人しかいない。葉佩はびくりと肩を震わして振り返った。
この呼び名には未だ慣れない。しかも取手はひどく大切な言葉を口にするかの様に、優しく、そっとこの呼び名を口にするのだ。まるで乱暴に言えば壊れてしまうかの様に。
そういう丁寧な扱いに、葉佩はまだ馴染めない。
「どしたん?かっちゃん」
自分が言うと、ひどく力強く乱暴に聞こえるなと葉佩は思った。この呼び名で取手の事を呼ぶのもまた、学内に葉佩だけである。
「……夕食、どうするのかなと思って」
ひかえめな笑いもまた、葉佩には縁遠いものである。なんでもかんでもはっきりきっぱりしている葉佩にとって、取手のぽややんとした表情は、分かりにくいと共に、ひどく頼りなくて愛おしい。
「んー、特に決めてないけど。一緒に喰うか?」
「うん……その、僕が作ってみようかなって、思うんだけど……」
「え?お、マジで?」
取手の提案に、葉佩は思わず目を丸くした。
「えっと…そんな、君程には上手じゃないとは思うし、立派なものはとても……」
「んあ?いやそーじゃなくって、取手も料理とかすんだな、ちょっとビビッたわ」
本当にぽかんとした顔で言う葉佩に、取手は思わず苦笑を漏らした。
「少しくらいなら、ね。そんな大層なものは作れないけど……前、君に招待してもらったから、そのお礼にって……」
「へ?あーぁ、あれか」
あれ、というのは、葉佩が取手を部屋に招いて食事を振る舞った話である。
つい一週間程前に、ヨード卵とトリュフを手に入れた葉佩は、「そーいや取手はオムレツ好きだっけなぁ…」と思い出し、結構な勇気でもって取手を招待したのである。
ガチガチに緊張しながら作った地上最強オムレツは、その割には上手くいき、ついでに作っておいた野菜スープと共に、取手に絶賛されたのである。
専属コックになってやろうかと、その時葉佩が口にした冗談は、本心を言うと半分しか冗談ではなかったというのは、蛇足である。
「べ、べつにそんな、気にすんなよ。いや作ってもらえるのは嬉しいけど、そのなんだ、気ィ遣う必要はねーんだぜ?」
これでは見返りを期待して招待したようなもんだと思う反面、取手の好意を無下にしたくもない。
ついでに言うと、取手の部屋に行くのはこれが初めてだから、ラッキーという下心もないではない。
そんな葉佩の葛藤を知ってか知らずか取手は、にっこり笑うと、
「僕が、作りたいんだ。はっちゃんのために」
こいつ、わかってて言ってんじゃねーのか、と葉佩は内心で悪態をつきつつ赤面したのであった。
「わー、すごッ!」
素直な感想を口にすると、取手ははにかんで喜んだ。
葉佩は取手の照れ笑いが好きだ。なんでもー、こー、可愛いかな!と思ってしまう。
その一方でまくられた袖から覗く腕はひどく男らしく筋張っていて、こういう辺りも反則だと葉佩は思う。
なんでよりにもよって男を好きになってしまったのだろうと思わなくもないが、生来深く考え込む事は得意ではないので、「ま、かっちゃんは格好いいし可愛いからいーんだ」と何がいいのか分からない言い訳を葉佩は胸の仲で呟いた。
取手が作ってくれたのは純和風の夕食だった。
米飯に豆腐のみそ汁、梅干しや漬け物は長野の実家から送られてきたものらしい。高野豆腐と大根の煮物に、アジの塩焼き。
海外暮らしが長く、学食であるマミーズも洋食中心のせいで、日本にいるくせにこういった食事とはほぼ無縁だった葉佩にとっては、醤油と鰹出汁、昆布出汁の香りは、なによりの喜びだった。
「えー、おいちょい待てよー、かっちゃんすごいじゃん。これ本当にかっちゃんが作ったの?」
「え、うん。まぁ……」
「やばいなー。純和風だなー。かっちゃんはいいお嫁さんになるよー」
しんみりと言えば、取手は赤くなって「そんな……」と呟いて俯いた。
「いやマジ俺こういう食事と暫く無縁だったからさー、本当嬉しいわ〜。甲太郎なんかカレーばっか喰わせるし」
口を尖らせていう葉佩を見て、取手の顔が一瞬曇った事に、葉佩は気付かず箸を取った。
「なな。喰っていい?俺めっちゃ腹ペコなんだわ」
にこにこしながら早速茶碗を手にしている葉佩を見て、取手の頬も自然と緩む。
「うん、それじゃ」
「いただきまっす!」
葉佩は早速、大根の煮物に箸を通した。