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身体が熱を帯びているようで、頭がぼうっとする。腰が重い。幾度も擦られたそこがひりひりと痛む。
痛む度に、昨夜の事を思い出して赤面する。
戸惑ったり困惑したり憤ったり苦悩するポイントはあまりにも沢山あったが、しかし一番九龍を悩ませたのは、自分自身の痴態であった。どう考えても事の責任は全面的に取手鎌治にあるのだが、しかし九龍は妙に罪悪感を感じていた。一体どんな顔をして今日一日を過ごせばいいのだろうか。
必ずしも今日、取手と会うわけではない。しかし取手と顔を合わせなくとも記憶は消えない。時折揺り返すように脳裏をその時の様子が掠め、掠めると急速に詳細な感覚の記憶が沸き起こる。
どうしよう、そう思うとまた赤面してしまう。
しかし休むわけにもいかず、九龍は決心して自室の扉を開けた。

運命の神っているんだよね、それもとびっきりイジワルなヤツが、と、九龍は内心笑顔で毒づいた。
登校しようと寮の玄関に向かって階段を降りようとした瞬間、目の前に取手鎌治が現れた。長身の取手が階段の上から九龍を見下ろす。とんでもない身長差に、九龍は首を折って見上げた。狂ったように心臓が波打った。緊張感に頭がクラクラするが、一方の取手はまるで何事もなかったかのように、微笑んだ。
「おはよう、九龍君」
その微笑みは昨夜の音楽室で見たものとはまるで異なっていて、ごく普段通りのどこか頼りなさげな微笑みだった。肩すかしを食らった九龍は、一瞬ぽかんとしたが、慌てて微笑を繕った。
「おはようございます、取手君」
昨夜のあれは自分の妄想か何かだったのか、とまで考えたがしかし階段を下りようと歩みだした途端に腰がずきりと痛んで、いや違うあれは確かに現実に起こったものなのだと思い直した。
しかし、取手がそれをなかった事にするというならばそれはそれで構わない。九龍も、人生経験を一つ積んだと思っておけばいいだけの事だ。肩の力を抜いて、九龍は脳裏を掠める様々な思いを追いやった。
「まだまだ日差しが暑いですね」
「…そうだね。今年は残暑が厳しい」
窓の外を見やりながら取手が答えた。残暑厳しい九月の朝日は攻撃的なまでに眩しかった。その眩しさはちょっと疎ましい、と思いながら、九龍は取手と共に校舎に向かった。

何事もなく、三日、経った。
血筋のせいかロゼッタでの訓練の賜物かは知らないが、九龍はすぐさまに体調を回復させ、事のあった翌日にはもう遺跡に潜っていた。気を紛らわすためもあって、平素よりも長い時間に渡って積極的に潜った。一度仲間を集めてみんなで潜った後、解散してからまた一人で潜った。化人は殺しても殺しても、すぐに涌いて出た。無尽蔵に溢れる化人はまるで墓の生命力のようで、おぞましいと思うと同時にしかし何故か九龍はどこか嬉しさを感じていた。
多くの人々が関知していない闇の世界が確かに息づきこの世の光を狙っているのだと考えると、妙な高揚感を感じた。そしてそんな闇の世界に呑まれるか呑まれないかのギリギリの所を渡り歩いてゆく感覚が、途方もなく気持ちよかった。
向き不向きでいけば、自分はこの仕事に向いていないと思う。体力は、鍛えこそしたがそれでも人並みよりもちょい上程度で、盗掘仲間内の中では相当弱っちぃ。打たれ弱く、攻撃されるとすぐにへばる。ただ小回りは利くし、子どもの頃から山奥を走り回っていたせいでちょこまか逃げ回るのは得意だ。いつも逃げつつ避けつつ、遠くから銃で敵の弱点を正確に、しかし地道に狙う。正直、それはあまり職業柄誉められた闘い方ではない。
しかし、九龍はこの仕事を心から愛していた。
正確には、遺跡という存在を。
人知れずひっそりと闇に沈み、しかしそれでも確実に息づき、己を侵す者へは厳粛な罰を与えんとするその存在を。そしてその静寂を。
闇に響く銃声を聞くと、九龍は妙に落ち着いた。遺跡での闘いは外界での例えば戦争で行われる様な轟音を伴ったものではない。もっと静かで確実で冷たいものだ。それを九龍は愛していた。
安全領域に入った区画で寝転がって遺跡の天井を眺めていると、世界には自分一人しかいない感覚がする。その孤独はひどく優しく愛おしく、濃密な死の香りを伴っていた。その沈黙を、九龍は愛した。

その日もいつも通りに遺跡に入っていった。仲間を連れて二週。龍麻と二人で一周。それから一人で一周。
一周、しようと進んでいった先に、取手がいた。
「やぁ、こんばんわ」
神産巣日がいるはずの部屋には何故かそれはおらず、代わりに取手がゆらりと立っていた。
制服姿ではない。ジーパンに黒いTシャツを来て、九龍を見て笑った。
その笑みに、記憶が呼び戻されびくりと身体が震えた。全身から冷や汗が吹き出し、足がすくんで言う事を聞かない。まさか、そこまで過敏に反応するとは思っていなかった。思っていたよりもショックだったんだな、と妙に醒めた頭で思う九龍のもとに、取手が歩み寄ってきた。
「さぁ、始めようか」
耳元で囁かれ、感覚が麻痺、した。