10




突然部屋の中に入ってきた取手を見て、床にへたり込んでいた九龍は飛び上がって、ベッドの上に避難した。顔を真っ赤にして目を潤ませて震える九龍を見て、取手は実に愉快そうに嗤った。
「鍵、開けておいてくれて、ありがとう…」
ぎしり、とベッドが軋んだ。片膝をベッドに掛け、九龍に顔を近づける。九龍は慌てて身を引くが、狭い寮のベッドだ、あっという間に壁にぶつかってしまう。近づく取手の顔に怯えて、ぎゅっと目をつむる。
その様がセックスの時の、快楽に耐える表情のようで、取手は自分の熱が昂るのを感じた。
「もう…無理だよ…」
君が僕から逃れるなんてもう、無理だ…、そう胸の中で呟きながら取手は九龍の顎を掴んだ。
「あ…と、とりで…君…」
睫毛を震わせて、九龍が取手を見上げる。このまま犯してしまおう、と取手が九龍の襟元に手をかけると、九龍が慌てたようにその手を掴んだ。
「待って!待って、下さい…ッ」
「待たないよ」
初めて示される行為の拒絶に、取手の苛立ちは高まった。
しかしそれを知ってか知らずか、九龍は必死になって取手の手を抑える。
「お、お願いです…!お、お願いだから、待って…!」
「なんで」
ぎゅっと目を瞑って懇願する九龍に、不快感も露に問う。なんでもなにもないことくらい、自分でよくわかっている。しかし、問わずにはいられなかった。
「あ、あの…ぼ、僕…あの、ひょっとして……とと、取手君のことが…」
取手は全身の体温が下がってゆくのを感じた。
あぁ、やはり、こうなるのか。
こうしてまた自分は、大切な者を、愛おしい者を、失うのか。
深い哀しみが昏い熱情に変わろうとした時に、取手の頭を九龍の言葉がガツンと打った。

「す、好き…かも…しれ、ないん…です…」

尻窄みになっていく声に、取手の動きが一瞬止まった。
「は?」
漏れた声はひどく無愛想で、間の抜けた声だった。
九龍の顔が急激に赤くなる。首筋まで赤くして、九龍はまた取手を突き飛ばした。
全然力が入っていないものだったが、やはり脱力していた取手はバランスを崩してふらふらと後ろに仰け反った。体勢を整えて九龍を見ると、ベッドの隅、壁の角に頭を擦り付けて小さく小さく縮こまっていた。
これで着ている服が緑だったらマリモだなぁ、と、取手はぼんやり考えた。
「ちょっと、九龍…」
「ごめんなさい!ご、ごめんなさい!」
取手の呼びかけを皆聞く前に、九龍が取手の声を遮った。
「すみませんッ!すみませんッ!突然のことで正直信じられないというかむしろ僕自身が信じられてないんですけどなんかこうどうにもこうにも好き…に、っと、ななななってしまったようで…ととととにかくすみませんごめんなさいごめんなさい本当に本気でごめんなさ…」
「…ちょっと」
壁に向かって何かを一生懸命弁解している九龍の肩を引っ掴んでベッドに引き倒した。
「きゃーーー!」
「騒々しいよ」
取手と対面して絶叫する九龍の口元を、取手は大きな掌で覆った。
もごもごと何かをまくしたてる九龍を溜め息をつきながら見下ろす。
「ちょっとは、落ち着いてもらえないかな、九龍君」
冷たい声で言うと、九龍は顔をくしゃりと歪めて、それからこくりと頷いた。
静かになったのを見計らって、手を外す。
おずおずと起き上がる九龍と視線を合わせるために、取手は床に座った。若干、九龍が見下ろす姿勢になった。
「で、何がきっかけにそう思うようになったんだい?」
諭すように語りかけると、少し安堵したのか、九龍が話しだした。
「あの…ついさっきですね、取手君に言われた言葉が…なんというかこう一直線に…」
「僕が言った言葉?」
何か九龍を喜ばせる様なことを言っただろうかと、取手が回想すると、九龍がまた頬を赤らめた。
「あのぅ…そのえっと…と、と……と、取手君に……し、縛り付けられ、て……と、取手君だけを求める、と、取手、君だけのものに…って、ぅう…」
それか。
臆面にも出さないが、取手は内心ずっこけた。一方九龍は恥ずかしさがピークに達したのか、布団に顔を押し付けている。小さな身体を小さく丸めてふるふると震える姿を見て、余裕がでてきた取手の心に悪戯の芽が首をもたげた。
「なんで、そう言われて、好きだと思ったんだい…?」
「え、いや…だって……です、ね…」
布団の隙間からぽそぽそと九龍が言う。
蚊の鳴くような声だったが、取手にとっては聞き取りにくいほどではない。
「その…つまりそれって……とと、取手君が、僕を……その…じ、自分だけのものにしたいっていうこと、ですよね…?」
「そうだね」
「あ、あの…それが、すす、すごく…嬉しくって…」
布団をぎゅーっと握りしめながら一生懸命話す九龍を、人外の者を見る様な目つきで取手は見た。幸いな事に九龍自身は布団の顔を押し付けているので、そんな取手の顔は見えない。
「と、取手君だけのものに…な、なれたら…って、思った瞬間にもう……ってもうぎゃーーー!!
耐えきれなくなったのか九龍はすごい勢いで起き上がると。布団を引っ被って丸まろうとした。が、取手はそうはさせじと素早くその布団の端を掴んで立ち上がり、その結果バランスを崩した九龍はごろんと床に落ちた。
「ぴぎゃっ」
変な悲鳴を上げながらも、受け身はとっているあたり、一応トレジャーハンタ?なんだなと、取手は思った。
「あのね九龍君」
「ぎゃーーーッ!ぎゃーーーッ!僕は何も聞きませんよーー!!」
「僕も君の事が好きなんだけど」
「ぎゃーーーッ!ぎゃーーーッ!言わないでー!言わないでーッ!」
九龍が耳を塞いで床を転げ回る。
いつもの冷静沈着で、声を上げて笑う事も滅多にない九龍からは想像もつかない姿だ。おそらく、相当恥ずかしいのだろう。
両思いになれたのだから取手としては願ったり叶ったりで、まぁその動機が「取手が九龍を好きだから」なあたりにはちょっと不満もないわけではないが、それでもやはり嬉しい。恥ずかしさよりも、嬉しさが先立つ。だからこそ、
「ちょっと、顔挙げてよ」
「無理ですー!無理無理無理無理無理ーーーー!!」
愛しい人の顔を見たいと思うのに、九龍は断固拒否の態度である。いい加減しびれを切らした取手は、イライラと九龍に言った。
「ようやく恋人同士になれたんだから、キスの一つもしたいんだけど?」
その言葉に九龍の動きが一瞬止まる。そして惚けた顔でぽかーんと取手を見上げ、やおら立ち上がった。背伸びをして取手の額に手を当てる。続いて手首を掴んで脈をとる。それから今度は自分の額に手を当てて…。
「強いて言うなら熱があるとすれば、君だね」
「そ、そうですよね…取手君と僕が恋人同士だなんてそんなの幻聴…」
「いや、それが事実なんだけど」
九龍の動きが再び止まる。
「お互いを好きならばそれは恋人同士じゃないのかい?」
取手は構わず教え諭した。どうやらこの可愛い宝探し屋は、自分以上に色だの恋だのには疎いらしい。今まで恥ずかしがってたのはどうやら「取手と恋人同士になったから」ではなく、「取手に好きと言ってしまったから」のようだ。
九龍が大きく深呼吸を三回する。その場にしゃがみ込んで九龍がぶつぶつ呟き始めた。
「えーっと、僕は取手君を好きでぇ…そうなったきっかけは取手君に僕だけのものになってくれと言われたのがきっかけで…っていうことは取手君は僕を自分のものにしたいと考えていて、自分のものにしたいってことは…取手君も僕の事が……すす、好きで…ってことは僕は取手君を好きで取手君も僕が好きだから…」
「…両想いってことだよね?」
へちゃり
九龍が床に潰れた。
「九龍君」
「………あ、や……あーもー…な、なんなんでしょう…ねぇ…はは、はははは…」
「なんなんだろうね」
取手はベッドに腰掛け、奇行を披露する九龍を鑑賞することにした。
「うぁああぁぁあぁぁあぁ」
訳の分からない呻き声を上げながら九龍が額を床を転げ回る。
かと思いきや突然立ち上がって狭い部屋の隅から隅まで幽鬼の如く、右往左往する。それからまた奇声を発しながら床に蹲って…。
「いい加減、顔を見たいんだけど…九龍君」
「をぉぉおぉぉぉおおぉ」
取手の言葉に、九龍は寧ろ床にめり込む勢いで額を押し付けた。とにかく凄まじく恥ずかしいようだ。そんな九龍を可愛らしいと思うと共にいい加減待ちきれなくなった取手は、九龍の上にかがみ込んだ。
「んあっ」
むき出しになっていた耳の後ろを舐める。
九龍はびくんと顔を跳ね上げた。床との間に空いた隙間に、取手はすかざす掌を差し込み、九龍の身体を抱え上げた。
「う、わぁっ」
九龍の身体を後ろ向きに抱えたまま、どさりとベッドに座った。
「ととと、と、取手君!」
「九龍君」
首筋に、唇を押し付ける。九龍の身体が小さく揺れた。
「九龍君…」
耳元で囁けば、九龍は小さく縮こまってしまった。顎の手をかけ、自分の方を向かせる。
「う…ぁ…」
「好きだよ」
唇と唇を、重ねる。
柔らかい感触がした。舌先でつつけば、素直に開かれた。舌を差し入れ、九龍の味を味わう。
「っふ…ぅう、ん……」
漏れる吐息の甘さに、そういえば九龍は疼いていたのだったと思い出す。
「好きだよ…」
唇を離し囁くと、今度は九龍が口づけてきた。身体を捻って両腕を取手の首に回す。深く深く取手の唇を求める九龍が愛おしくて、望む通りにたっぷりと与えた。
「ん…ふ……ぅん」
掌を滑らせてシャツの上から九龍の胸板を探る。
「ぃうッ、あ…やぁ…!」
突起を探り出し、布越しに摘むと九龍は声を上げて跳ねた。その拍子に唇が外れる。
「ん…ぁあ、と、とり…」
「名前」
「なま…?」
「名前を…呼んで欲しいんだけど」
取手の要望に、九龍は頬を染めた。口を何度か開閉させた後、はにかむように笑って言った。
「かまち、くん…」
明日は土曜だったな、と思いながら、取手は九龍を押し倒した。